昭和49年から翌年にかけて三菱重工の本社などが相次いで爆破された事件で殺人などの罪に問われた大道寺将司死刑囚が、24日午前、病気のため東京拘置所で死亡したことが関係者への取材でわかりました。 一連の事件で東アジア反日武装戦線の大道寺将司死刑囚(68)は殺人などの罪に問われ、昭和62年に最高裁判所で死刑が確定しました。大道寺死刑囚は「爆弾に人が死ぬほどの威力があるとは思わなかった」として再審=裁判のやり直しを求めましたが、最高裁判所は平成20年、裁判のやり直しを認めない判断を示していました。 関係者によりますと大道寺死刑囚は病気で治療を受けていましたが、24日午前、多発性骨髄腫のため、収容されていた東京拘置所で死亡したということです。