ブックマーク / www.kikikikikinta3.com (128)

  • 伊峡と小池(モンキーターン)

    モンキーターンというこの話自体、常々いかに勝つかが問われており、勝つためになんでもしていいのか、それとも節度を持つべきかが問われている……まあ要するに具体的にはダンプってこれは一体どうなのか?ということが常々問われている。勝つためとはいえ、他人や自分を危険に晒すってのはどうなのか?ということである。 ・小池さんという人は波多野の師匠だが、この人はかつて有望と言われた弟子の艇に乗り上げて怪我をさせ、引退に追い込んでしまった過去がある。その罪悪感と負い目がこの人の人生に暗い影を落としたのは間違いないし、それでも引退することなく競艇をし続けることを小池は選んだ。 つまり誰一人もう責める人はいなくても、みんなが忘れても、延々己を責め続け、痛めつけ、苦しみ続ける道を選んだということでもある。そうしたことはあまり表に出てくることはないが、波多野は青島に「オレはお前を競艇選手の中で2番目に尊敬してる。1

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    blue1370
    blue1370 2024/06/05
  • 稲作と日本人

    今日ふと思ったのが、 「日清日露戦争において日軍には大量の脚気患者が発生した」ということ。これ関連で、陸軍では森鷗外を筆頭に伝染病説が主流であり、実際にはビタミンB1欠乏が原因だったんだが当時はわからなかった、そのため対応が後手後手に回り被害を大きく拡大したという話がある。そして海軍ではたまたま玄米か何かをべさせたら良くなったと。ただ明確な根拠はなかったようではあるが。 ・ということは脚気の日史を紐解いてみるとおもしろいのではと。 そういうことで脚気は江戸時代には流行らなかったのではと思ってみると、実際にはけっこう流行っていたようである。年貢といえば米、米といえば白米。白米をべることが普通になった江戸時代にはけっこうちょくちょく流行ったのが脚気だった。田舎の農民も年貢で取られはするが都市にでれば白米をたくさんべられる、というので都市で脚気によくなっていた。 じゃあ農民は田舎で脚気

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    blue1370 2024/06/05
  • 多重な死

    考えてみれば死というやつもいろいろな要素があったりして一筋縄ではいかないものだったりする。 不慮の事故で一発なんてなったりもするし、なんでこんな目にとも思ったりもする。 で、辛くも生き残っても不遇続きでなにをやってもうまくいかない異様な時期というのがあったりする。 オレもかつて利き腕の握力が5キロになった時に病院に行っても「それが当に落ちたものかどうかわからない」とか医者が言い出したり、レントゲン見てもある病院は靭帯がなくなってると言うし、ある病院は異状なしというしで無茶苦茶だった。かと思えば「5キロあれば働けるでしょ、なに甘えたこと言ってんですか」といって箸を握ることすらできないけど仕事はできる……というより握力5キロで箸も握れないけど仕事ができない理由がないという理由がないとかいう奇妙なことになったりもしたものだった。痛みが何ですか、みんな頑張って仕事してるんですよというけど、どう考

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    blue1370 2024/05/29
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  • アリとアブラムシ

    ありんこの生態についていろいろ調べていた一日だった。 アリとアブラムシって仲いいんだよなーということで一日いろいろ考えていたが、たまたまものすごく面白い動画を見つけた。 https://www.youtube.com/watch?v=IZk5LO-H7O0 アリとアブラムシの関係っていうのはものすごく薄いということを言うだけの動画なんだが、衝撃だったというか、え、そうなの?という感じだった。そんなに薄いのかと。当然ずっと仲いいから捕とかしないんだろうなあとか思ってたが実際はそうではないと。 だからアリに砂糖をあげていればアブラムシの糖は不要になり、アブラムシのアミノ酸を求めてアリがべ始めるというだけの話なんだが、要するにアリっていうのはアブラムシの糖によって操られるんだけど、糖というだけなら別に人が砂糖をあげてもいいわけで。これによって人が逆にアリを操ることが可能になるというのが当に

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    blue1370 2024/05/29
  • 謎解き

    150年くらい解かれてこなかった難問に挑戦中。実は二年目。こういうのに挑戦するの地味に好きというか、謎解き得意じゃないくせに野次馬根性でふーんと頭の隅でやってるうちにいろいろ頭の中で整理されていく感覚がおもしろい。徳川埋蔵金とか身近にあったら、多分一生かけて「かごめ かごめ」の解読とかやってた気がする。まあでも徳川家はもう幕末には財政が破綻していて埋蔵金どころではなかったらしいんだけど。そもそも埋蔵金を作れるほどの財政状態でさえなかったという。 ・全然関係ないけど、ロマサガ3というゲームをやっててなぜ閃く技と閃かない技があるのか?ってのを考えていった末に、そういや敵が仕掛けてくる技ってあるよなあと敵の行動をマネしてたらなんかそう簡単に閃かない技を閃き始めたことがあって、あ、そうだったのか!と。製作者はこういうところにヒントを作っていたんだなあともう脳汁どっぱどっぱ出しながらやってたもんだっ

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    blue1370 2024/05/26
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  • キャバクラ建設事業

    ところで海上自衛隊ってのは海賊みたいなもんで(失礼)、陸が近くなってくるとものすごくテンションが高くなっていき、 「よっしゃあああ、酒が飲めるぞおー!!!」 というような一種独特な空気感ができていく、そしてなんとなくその空気感が好きだった。まあ上陸して酒場に入って、ビールこねえかなーまだかなーと待っている間が一番楽しいのかもしれない。キツイ仕事の合間に飲むビールのうまいことといい、そしてガハハハというような豪気な笑いといい、やはりどちらかといえばなんか海賊っぽいというか、海にいるとそういう気質になるのかもしれない。特に海生活っていうのは完全なる浦島太郎になるみたいなところがあるもので、そういう浦島太郎恐怖症みたいなものを漠然とながらみんななんとなく抱えていたような気がする。 子どもが小さい時に仕事海外へ出て、帰ってみると大きくなっていたが「おじちゃん扱い」で焦ったなんて話はそう珍しくもな

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    blue1370 2024/05/26
  • 無礼と非礼

    信長の野望天翔記というゲームで人の採用に失敗した時に次のような会話が流れることがある。 A「うちに使えませぬかな。金品は思いの通りに与えましょう」 B「人の心が金品で買えると思うておるのか。浅ましい」 A「なんと!金品に宿る人の思いが分からぬというのか」 B「よくわかっていますぞ。金品に宿る怨嗟の声がな」 ここでのAさんはスカウト側、Bさんはスカウトされる側であるが。これとそっくりな成り行きを見かけたことがあるのでこれで解説するとする。 ・普通に考えてAさんはBさんの能力なり人柄なりを買って評価してこうして活動している。ところがBさんからするとそれが評価とか能力とか腕を買われていると映らないことがある。いやそれどころか、お前は金品やモノで動くんだろうと定められて、まるで値定めされているかのような印象を与え、評価されているどころかまるでスーパーの値切り商品を安く買い叩かれるような扱いに思われ

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    blue1370 2024/05/22
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  • 休養

    いつも大概ゴソゴソしているが、最近体調不良で休もうと思った。多分今年入って初めて休むんじゃないだろうか。時間があれば何かしているし、何か新しいものを考えていてよしこれを作ろうと常々思っているので。何か最近進捗状況が妙に怪しくないか?と思うことがしばしばあった。ムダがないといえばそうなのかもしれないが、たまには休息を入れてやらないと、身体も100%の状態を常に維持できるわけではないという。となると結局はムダがないってのが、実際にはムダが相当大きかったりするのだろう。 ・とはいえ、人によるとは思うものの休む方が遥かに難しいってことがあるんじゃないだろうか。オレの場合は気づけば全力疾走→熱出して寝込む→回復→全力疾走……を一年単位で毎年繰り返すなということは薄々思っていたので、まあいっそそういうもんでいいやと思っていたけど、常に一定の成果を残し続けるということを考えると、常に全力っていうのはどう

    休養
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    blue1370 2024/05/22
  • ふと思いついて、最近ミネラルウォーターや山水(雨水)と水道水を毎日飲んだらどう違うかをやっていたが、一週間程度やっていたら明らかな体調の違いがあってもしかしてこれはと思わされた。この体調の変化は何かって、「水道水でもそんなに明らかな影響は出ないだろう」と一旦仮定してガンガン水道水を飲んでみたというもので結果としてなんだか明らかに体調が優れなかった。ということはこれはけっこう重要な要素なのかも?と思った。 リクツで言えば水道水は塩素消毒されているということ。これによって例えばO-157にならないとか、貯水槽に動物が例えば死んでいても一応は大丈夫で誰も気づかないなんてことにもなったりするのだろうが。しかしそれをもっと突き詰めるならば、腸内細菌などもその強力さ加減によって死滅するということもあるのではないかと思った。強力な塩素消毒によってピロリ菌は死ぬが腸内細菌は全く無害ですというのも話としては

    水
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    blue1370 2024/05/19
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  • 向上心について3

    先日の話で最大の矛盾点を挙げるとすれば、ゲームしてるやつがゲームしてたからといってストレートな向上心を「ゲーム的だから」といって持てたらそりゃあこの世界誰一人苦労しないという点だろう。ゲームしてるヤツで優秀なやつはたまにはいるだろうが、ゲームしてる人間が誰しも優秀ということにはならない。そしてむしろそういう向上心の形はゲームではなく、部活動や勉強といったことから人は会得する傾向が強いということ。そしてそうでないなら向上の方法がわからないために、むしろ足を引っ張る形の向上心に進みがちになる、そしてそういう傾向は皮肉なことにゲームしてる人間の方がむしろよく陥るんじゃないかと思うのだ。なぜって楽ちんだから。効率よく相手を蹴落として評価が上がるのであれば、それをしない手がない。そういうのをあっさりやってしまえたりするのだ。 ・これを体現したゲームがあって、それが三国志8。 9以降全くやってないのだ

    向上心について3
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    blue1370 2024/05/19
  • 向上心について

    ふと思った。 誰も見えないところで陰湿にネチネチやるとか。あることないこと上司に吹き込むとか。できる限り頑張ってるやつをなんとしても蹴落とそうとか。あの何とも言えない後ろ向きな情熱、あれ一体何なんだろうなあと思うに、いろいろ考えた結果、あれは紛れもなく向上心なんだなということに気づいてけっこう驚かされた。 してみると向上心というヤツも二通りあるらしい。 普通に自分のやるべきことやって向上していこうとするもの。多分こちらの方が普通なんじゃないだろうか。 もう一つは相手の足をできる限り引っ張り、できるだけマイナスな影響を与えることによって相手のミスと不調を誘い、あるいは上司の評価を下げることによって相対的に自分の知いや評価を上げようとするもの。こういう形の、いっていれば向上心の亜流みたいなやつも向上心の中にはあるんだなあというお話。 ・前者は絶対的な向上心というか、言ってみれば「そこに山がある

    向上心について
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    blue1370 2024/05/15
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  • タワマン殺人事件について

    最近タワマン殺人が話題になっている。これについて思ったことを何点かまとめておきたい。 ・まずよくある無敵の人事件と同じでひとくくりにして語られるものの、個人的には大きく違っていると思う。 無敵の人は勝手な私怨からただすべてをなくすということを選ぶ。京アニ事件にしろ、大阪のビル放火にしろ怒った、だからすべてを灰にして終了といった感じが強いが、この事件は少しニュアンスが違っているのではないかと思う。大金を渡した相手は悪人であり、そういう人間にお金を渡してしまった、悪人をのさばらせてしまった、その責任を取ってその悪人を滅ぼすものの自分も同様に滅ぶ。そこにはそういうものをのさばらせてしまった責任感というものがあり、その責任を取ろうとしているのではないかと感じ取られてならないし、憤りでただ突っ走ったようには思えなかった。しっかりと自らの犯した過ちに向き直り、そして今後の憂いを、悪人が更なる悪事を働け

    タワマン殺人事件について
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    blue1370 2024/05/12
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  • ダンプ

    モンキーターンの作中で有名な技(?)としてダンプというのがある。要するに艇を艇にぶつけるということだが、これによって自分の舳先の方向を変えたり相手の方向を変えたりというような技である。実際のところ競艇選手じゃないのでこんなことを考えても仕方ないっちゃ仕方ないのだが、しかしこの技の意味するところというのは非常に興味深いものがある、などとふと思った。 他の艇に体当たりして自分や事態を有利に持っていく、というといかにも豪気で一気な感じの技に見えるものの、その実相手の技量に大きく依存している性質があり、ある意味では相手とその技量をかなり信用していないとなかなかできない技でもある。だから一見すると「我が道を行く」の典型だとか覇者はこうするものみたく見えるが、実際はものすごく相手への依存度が高い技であると言える。競艇では下手すると相手を転覆させて失格になりかねないし怪我をさせかねないものでもある。ふ

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    blue1370 2024/05/08
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  • 継承

    あーメンドくせえな、もっとラクして生きてえなと誰もが思う、しかし人は苦労するし苦労しつつ人生を生きることになる。で、50年とか70年とか過ぎたころに恐らくは誰しもがこれはというような何かを抱えることになる。思いついたり身に付いたりしてふと気づけば身に付いた能力や一際輝く技術などがあることにふと気付く。何しろ事業や仕事に携わって云10年なんだからそれなりに経験値も気づけば貯まっているということが起きる。 そこで基的には親から子へと技術や能力、ノウハウの継承や伝承といったことが行われることになる。そうしたい親側の気持ちと、あーラクしてえなという子側の気持ちが一致する。その時に起きることというのが「エリート」というものであり、姿を現すのがエリート思想であり、そういったものに纏わる様々な願望の塊だと言える。当然そうした「気付き」というのは誰もが生きながら自分で経験値を貯めつつ自分で会得していくの

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    blue1370 2024/05/08
  • 差別について2

    ということで続きだが、「差別ダメ絶対」で差別というものに全く向き合ってこない習慣のあった我々が陥ったのは、実質的に学歴差別という普遍的でその構成員全員に当てはまるべき事態だったというのが実情ではないかということだ。自分より下となれば安心感を得、逆にこいつ自分より上かよとなれば急に被害をくらったかのような不快な気分になり、不快であるからこそこいつをどうにかしてやっつけてやらなければ気が済まないとなる。 差別したらし返す、されたらよりキツい差別をし返す、差別感情を向けられたとなれば加害してもいい権利を得たかのようになる、みなす。そういう不毛な状態を迎えたのではないかということである。 その結果、上に見られたいし他者を見下したいが、かといって下に見られれば誰もが不快になるという状態だった。中卒は誰もが言わないが「中卒かよ……」という実質的で明らかにストレートな差別状態だったし、かといって院卒は「

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    blue1370 2024/05/05
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  • 怨親等しく利すべし、自他同じく利するなり

    という言葉をなんとなく知っていたが、ふと思い当たって長々と考えて見たが。 古代人というやつはなんというかとんでもなくすげえなと思わされた。なんと肝が据わっていることか、そして事態を冷静に見て、自分にとってプラスになるならば徹底的に活用してしまおうとなんとあっさり考えてしまうことか。深みらしきものもないが、こうした態度と姿勢そのものがいかにもあっさりしていて、逆にそうした事態を前にしてあっさりした姿勢でやり取りできるものなのかと考えさせられる。それに比べて現代人なんて小手先のワザばかり長けているだの小波がきたら即あっぷあっぷするさまだの、古代人に比べてちょっと脆すぎる感じがある。失ったものの多さを考えてはいちいち数え上げて嘆いてばかりいるより、得たものの方に目をやっていかに成長できたかを考える方が余程前向きだとおもわされたし、そういう功利的、怜悧(れいり)といってもよいようなものを学ぶ必要性

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    blue1370 2024/05/01
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  • 好循環と悪循環

    詳しくはツイッターで呟いたので省略するが、まあ凄腕で知られる社長ってのがいたらしい。実力派のイケイケのガンガンで、地元では企業らしい企業もないので素晴らしい地元貢献もしていると。ただあまりにも優秀すぎるためか、周囲というか出来ない人にはキツく当たる人でもあったらしいが、直接会ったことがないのでそこら辺の事情がどうだったかまでは知りようがないので後は憶測である。 ・好循環ってのは明らかにある。頑張る、自分も含めた周囲が良くなる、良くなるからまた頑張れる、そしてまた周囲が良くなると。そういう循環というものとその形というのは明らかに非常にわかりやすい形で好循環を作っているものだと言える。しかし誰もがそんな好循環をそう簡単に構築できるわけではない。 するとその代替としての悪循環の回路を作り出すことになる。 死屍累々で、その人に関わったみんなが死ぬのだが、しかし ①みんな死んだのに自分だけ生き残った

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    blue1370 2024/04/28
  • 剪定ばさみ

    今日枝を剪定ばさみで切ろうとしたら謝って自分の指を切ってしまったという。かなり深めに切ったが、ほぼ痛みはなくサクッと切れてしまった。 まるで枝と間違えてソーセージでも間違えて挟んだか?というぐらいに。片手の中指の真ん中あたりをつまんでみたらそこそこ肉が伸びると思うが、これが丸々すっぱりと切れてしまった。伊達に日刀の技術使われてないな、というのをまさか自分の身体を通して体験することになろうとは。 当然ものすごく血が出たが、しかし皮膚がきれいに切れていたので、指を折って皮膚を曲げるとぴたりとくっついて、それによって血が止まったという。そのまま5分10分程度置いておいたらきれいに止まったのでそこからいろいろ処置をした。 最初は焦っていたが、余裕が出てくるとなんかどうでもいいことを考え始めたのでそのお話。 通販番組。 朗読推奨。 「みてくださいこれ、剪定ばさみ! これなんと、刃の部分に使われてい

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    blue1370 2024/04/24
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  • ざまあみろ精神

    負の感情に向き合うってのは誰もやってないことのようだしそういうことは一生やらない方がいいような気もしているが、まあやらないよりはやった方が現状マシなのでやってみることにする。 いつかも書いた気がするが、敵味方を分けるものってのは喜びを共有できるか、いやな現象をどこまで共有できるかが味方であり、その逆が敵であると見ることもできるように思う。 司馬懿は諸葛亮が死んだと聞いたらこれ好機と喜んで攻め寄せたが、諸葛亮はそのことも見越しており逆に驚かされて、しまった計略だったかと命からがら陣に逃げ戻ったということがある。いわゆる「死せる孔明生ける仲達を走らす」の故事である。偉大な味方が死ねば嘆き悲しむしかないが、偉大な敵が死んだならば、これ幸いと攻めるしかない。ある意味味方とは正比例の関係、敵とは反比例の関係にあると言えるだろう。まあ最近は複雑化しているから、味方が出世したら憎らしく思い、足を引っ張り

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    blue1370 2024/04/24
  • タルムード9

    ・「ミシュナ」 先に述べたように、タルムードはミシュナとゲマラの2つの部分に分かれている。これは作曲され、より正確に整理され、西暦200年ごろ紙に書き留められたものであり、これに関してはラビとしても知られるラビであるユダ・ハ・ナシの多大な恩恵によるものだといえる。 タルムードの心臓部と魂がミシュナであることに疑いの余地はない。しかし、その構成要素がいつ書き留められたかについては、解説者の意見は異なる。スペインの学者たちは、この文書はイスラエルで「学習のための家」が始まって以来、R.ユダの現れるずっと前から所有されていたノートから記録されたと主張している。そして、「原始的ミシュナ」とでも呼ばれるべきものは、寺院がまだ存在していた間に、ヒレルとシャンマイの生徒たちによって書かれたと言ってもいる。 その後、ラビであるアキヴァが初めて伝統的な事項の包括的かつ系統的な収集に着手したようだが、膨大な量

    タルムード9
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    blue1370 2024/04/14
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