意図は「内面」にあるのでしょうか。 例えば、飛び出した子供を轢いてしまった運転手がいたとすると、彼は人を殺したが、殺そうとして殺したわけではありません。彼の意図は殺人にはなかった。 良かれと思ってやったことが、悪い結果を招くことがあります。こうした場合でも、意図が良きものだと分かれば、わたしたちは大抵、情状酌量の余地を認めます。 わたしたちが目にするのは結果です。物質的な結果ですが、そこには直接現れないものがある。わたしたちは尋ねます。「なぜこんなことをしたのか」。意図はそこで語られます。意図は言語を介在して他者たちに伝えられます。 伝えられた時、人々は彼の「内面」に意図があったのだ、と考えるでしょう。遡及的に「内面」が想定され、そこに自らの「内面」と似たものを認めるからこそ、わたしたちはそれを意図として承認するのです。 しかし例えば、満面の笑みをたたえドラえもんの主題歌を絶唱しながら次々