06 ← 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 → 08 さて、今日は放送も無いので、史実についてやる夫竹鶴でスルーした部分の考察をしてみましょう。今回は、政孝が壽屋を退職した経緯について。なおやる夫竹鶴を読んでいるくらいの知識は必要になります。 政孝が壽屋と10年したのが1923年(大正12年)6月、とりあえず満了したのが1933年(昭和8年)、実際に退社したのが1934年(昭和9年)3月1日となっています。まずはこの時の政孝の自伝における状況説明。 とことんまでいったらどうなっていたかわからないが、さすがに鳥井さんは名経営者であった。機をみるに敏な彼は、後日、麦酒共同販売(後の東京麦酒)に工場ならびに企業のいっさいを売り渡し、ビール事業から手をひくことになったのである。 ちょうどその時分、私のおふくろが病気となり、す