ブックマーク / mujin.hatenadiary.jp (9)

  • 煽動礼讃21世紀 - 思いて学ばざれば

    これの続き。 かれがよく見抜いたように、歴史修正主義者は、自分たちが批判にたえるまともな議論をしているとは思っていないし、そもそも彼らの真のターゲットは歴史上の通説などではなく、その目的は、歴史を知らない人たちを惑わすことによって自分たちの利益を図ることであり、そのことは歴史家によってつとに明らかにされている。 歴史修正主義者が歴史家に刃向かうのは、通説を書きかえるためではない。自分たちの政治的目的から、歴史を知らない多くの人たちに「もしかしたら通説には瑕疵があって、彼らの言うことにも一理あるのかもしれない」と思いこませるためなのだ。彼らはそのためにさまざまなトリックを用いる。 たとえば自分たちの行為を「見直し」であるとし、歴史家がそれを拒絶するのは偏見や因習にとらわれているからだと人々に印象づけようとする。もちろん彼らの主張が歴史家に受けいれられないのは、その主張が非科学的だからだ。歴史

    煽動礼讃21世紀 - 思いて学ばざれば
  • 前提ロンダリング - 思いて学ばざれば

    あとで書くとは言ったものの一段落ついたら書く気も失せるね。なので、手短にすませる。 まずこの記事から。 南京事件にかかわる史料は多くが失われていて、その全貌をつかむことはすでにできない。しかし残された史料だけでも日軍がいかなる行動をしていたのか分かっている部分も大きい。知りえないところと知りうるところがあり、知りうるところではかなりのことが分かっている。 なにか絵の描かれたキャンバスのところどころに大きな穴が開いてしまっていて、そこがもともとどのような色で塗られていたかは知りえない。けれども残された部分には赤だの白だの緑色だの黄色だので塗られた文様があるわけで、そこだけでも何が描かれているかは明らかだし、あるいはその描線を延長することでもって穴の開いた部分になにが描かれていたか推測するという手もある。 で、さきの記事に戻ると、そこにはこう書いている。 けっこう驚いた。個人的にはもはや、「

    前提ロンダリング - 思いて学ばざれば
  • 歴史修正主義は論点を攪乱する - 思いて学ばざれば

    さきのエントリで、歴史修正主義は意見が正しいかどうかのレベルではなく、議論の場、ルールそのものを破壊することを目的としていることこそが問題なのに、それがこの問題に関心の薄い人にはなかなか伝わらないと書いたんだけど、これがまたえらい反響をもらっちゃいまして、なんでこんなにウケてるの?書いた当人にはまったく分からないという(笑)。 相撲にたとえると、強いとか弱いとかいう以前に、そもそも土俵に上がってすらいない。…ということは、歴史修正主義者の「主張」をある程度の関心をもって見ている人にとっては常識に属することなんだけど、さほど関心をもってない人にはそれが分からない。…ということを、clawさんのエントリに付けられたブクマ※を見て、ため息をつき、読者の同意を求めてるだけの内容のうすっぺらなエントリなんだけど。 さきのエントリに反応してる人は、それぞれ着目してる点が違っていて、にもかかわらず、互い

    歴史修正主義は論点を攪乱する - 思いて学ばざれば
  • 歴史修正主義の戦術 - 思いて学ばざれば

    ここんとこ立てつづけに似たような見解が出てきたのでメモ。 【思いて学ばざれば】コメント欄 歴史修正主義だのいわゆるニセ科学だのが学会に見向きもされないのは、証拠が足りないために学説として支持されていないのではなく、「手続き」そのものが間違っているからです。科学の手続きを無視してでたらめを主張する者が一方的に学問へ喧嘩を売っているに過ぎませんが、それを皮相的に取り上げてプロパガンダ合戦だからどっちもどっちだと片付ける、あるいは第三者にそう印象づけるという試みは、もとより歴史修正主義者のものです。そうすれば事情を知らない人々には彼らの主張が主流の学説と対等に張りあうくらいの水準にあるというような錯覚を起こさせることができますからね。 【good2ndの日記】 ついでにちょっと。どうも否定論の人達は「あった説」「なかった説」みたいな言い方をしがちだけども、はっきりいって虐殺が「あった」のは「説」

    歴史修正主義の戦術 - 思いて学ばざれば
  • ジョークを真に受ける人々 - 思いて学ばざれば

    木走正水さんが「納豆捏造番組報道:見事なひどい朝日の手口『豚は太らせてから殺せ』大作戦(爆笑)」というジョークを書いたら、それを真に受けて「朝日、許すまじ!」と燃え上がっちゃってる人がいっぱいいる*1。 コメント欄とか、 はてブとか、 トラックバック先とか。 こういう人たちのリテラシーってどうなんだろう。 *1:この木走という人のよろしくないところは、自分のエントリがアホな読者によって真に受けられるであろうと知りつつ、故意にやってること。んで、にやにやしながらコメントに返事を書いてる。いじわるだなぁ。

    ジョークを真に受ける人々 - 思いて学ばざれば
  • 悪魔の証明 - 思いて学ばざれば

    「『ない』ことを証明することは不可能である。悪魔の証明である。それなのに、あなたは『ない』ことを主張している。なぜか。あなたはどうやって『ない』ことを証明できたのか。お聞かせ願いたい。」…と言ってみるのはどうか。

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  • 百人斬り問題で新証言 - 思いて学ばざれば

    1937年、南京へ向かう途中で2人の少尉が百人斬り競争をした問題について、新たな証言が発掘されたようです。 【思考錯誤】掲示板に寄せられた指環さんの紹介する秦郁彦さんの論文によると、野田少尉が故郷鹿児島の小学校で語ったとされる捕虜の据え物斬りについて、その事実を伝えたのが志々目彰さん一人しかいなかったことから、これまで志々目さんの記憶違いではないかという批判があったが、秦さんが調査したところ、志々目さん以外からも同様の証言が得られたとのことです。 次の論点は投降した捕虜処刑の有無だが、筆者は志々目証言の裏付けをとるため、志々目が所持する鹿児島師範付属小学校の同級生名簿(有島善男担任)を頼りに一九九一年夏、数人に問い合わせてみた。明瞭に記憶していたのは辛島勝一(終戦時は海軍兵学校75期生徒)で、野田中尉が腰から刀を抜いて据えもの斬りをする恰好を見せてくれたのが印象的だったと語ってくれた。 ま

    百人斬り問題で新証言 - 思いて学ばざれば
  • 映画『南京』だけでは真実は分からない - 思いて学ばざれば

    The Truth of The Nanjing of 1937.12-1938.2 via 【クッキーと紅茶と】 映画『南京』を引き合いに出して南京事件はなかったと言う人があとをたたないようですね。せめて、この映画を撮影した白井茂氏の証言くらいは参照してみてはどうかと思います。 こういう人たちって、どんなカメラでも限られた時間、限られた場所しかフレームできないこと、もし日軍の暴行が映っていたとしても、いかようにも編集されること、そういう当たり前のことに理解が及ばないのでしょうか? もし、映画『南京』に日軍の暴行が映ってないから日軍の暴行はなかったという主張が許されるならば、地下鉄サリン事件もなかったことにできてしまいますよ。実際、とほほさんが「地下鉄サリン事件はなかった」と題して否定論者がどのようなトリックを使っているかを実演なさっています。 南京安全区委員マッカラムは、カメラが向

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  • 議論に勝って政治に負ける - 思いて学ばざれば

    非対称戦について、その続きです。 南京事件否定論は論理的に破綻しているし、史料的根拠にも欠いています。それがけたたましく嘘をがなりたてているのだから、当に下品だし目障りです。だからといって、その非論理性や無根拠を批判し、論破しても、まったく意味がない。なぜなら、彼らは史実の検証ではなく、善意の第三者に対して史実とされる記述が疑わしいのではないかという印象を振りまくのを真の目的としているからです。 米軍は圧倒的軍事力でもってイラクを占領しましたが、反米勢力はテロ、ゲリラ戦に持ち込んで、米軍の手から政治的勝利を奪い取りました。米軍の軍事力はこれに対してほとんど無力です。米軍は物理的打撃をイラク軍に与えましたが、反米勢力は心理的打撃を米国世論に与えました。 歴史家は正論でもって南京事件否定論を論破しましたが、否定論者はデマ、プロパガンダを振りまいて、歴史家の手から政治的勝利を奪い取りました。歴

    議論に勝って政治に負ける - 思いて学ばざれば
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