文安の麹騒動(ぶんあん の こうじ そうどう)とは、室町時代、京都において酒造工程の一つである麹造りを支配していた座(北野麹座)が室町幕府に鎮圧されて没落した事件。この結果、麹の専門業界は没落して酒屋業へ組み入れられた。 京都では鎌倉時代から急成長産業として隆盛していた酒屋だったが、その中から資本力に富む酒屋は、麹造りにまで取り組み始めた。 当時の酒屋は、まだ麹造りまでは職業範囲ではなく、「麹屋」という麹の製造から販売までを担う専門業界が別個に存在していた。麹屋は北野社(現在の北野天満宮)の神人(じにん)身分を得て「麹座」と呼ばれる同業者組合(座)を結成しており、北野社(本所)の権威を背景に京都西部の麹の製造・販売の独占権を有していた。当然ながら北野麹座は、酒屋の麹造りに強く反発した。 その頃、足利義満の治世下で全盛期を迎える室町幕府が、至徳3年(1386年)には延暦寺を始めとする京都の有