ブックマーク / swingbooks.jp (4)

  • 方法としてのデジタルストーリーテリング

    デジタルストーリーテリングで映像作品をつくります──というと、いろいろな学生があらわれる。 少数ながら毎回混入しているのが、勘違い系とでもいうのだろうか、映像製作という愉しげな言葉だけに釣られてやってくるタイプの学生である。かれらの特徴は、おのれの「感性」とやらを実現したいという欲望にのみ忠実なことだ。たいていのばあい、かれらの語る「感性」とはいたって凡庸なステレオタイプであり、とりたてて独自性の感じられるような類のものではない。ひとりよがり、混乱、じぶんだけが勝手に気持ちのいいマスターベーション。だから他の学生やぼくのコメントやアドバイスにたいして、まるで耳を貸す用意がない。かれらの関心はおのれの欲望を満たすことだけにあるのだから、当然といえば当然だろう。受講態度は、いきおいまじめとはいいにくいものになる。まじめとは、けっして、くそまじめという意味ではない。課題に真摯に取り組む姿勢が欠落

    方法としてのデジタルストーリーテリング
  • なぜ書くのか

    たったいま原稿を一しあげたところだ。ちょっと特殊な性質の雑誌から依頼されたもの。一般の書店店頭に陳列される類のものではない。とりたてて長くはないこの原稿、おもいのほか執筆が難航した。授業期間が終わってもまとまって時間がとれず忙しかったという事情はたしかにあった。でも質的な理由は、そういうことではない。 依頼されたテーマは、口幅ったい言い方になるが、たしかにぼくにしか書けないであろう題材だった。ぼく自身、そのテーマについて言うべきことは山ほどあり、長年内側にかかえてきた。けれどもこれまで書くことを避けてきたし、書くつもりもなかった。今回の依頼がなければ、おそらくこの先ずっと書くことはなかっただろう。 依頼していただけるというのはありがたいことだ。いつもならよろこんでお引きうけする。だが今回はテーマを聞いて少しとまどった。でも、けっきょく引きうけることにした。ほかのひとにいい加減なことを書

    なぜ書くのか
    bokosu
    bokosu 2008/08/10
  • コストパフォーマンス思考(下)

    だが、一見合理的にみえるこのコストパフォーマンス思考には、陥穽が隠されている。「なにを選んでも、心底満足できな」くなってしまうのだ。この不幸は、リスクをなるべく排除しようとしたことの帰結として到来する。まず、二つのものが失われてしまうと知る必要がある。 第一に、駄作に接する機会が失われる。 作品は人間と同じで、多様性のなかに生きている。大多数は凡庸きわまりない。傑作はごく少数で、それなりの数を駄作が占める。なかには、腰が抜けるくらいひどい超駄作もある。これらを避けてとおるのは、多様な作品世界に接する貴重な機会をみすみす捨てているようなものだ。 駄作や超駄作を知らなければ、すぐれた作品に接したときに、そのよさを理解することができない。だが、それだけではない。駄作を駄作としてそれとしっかり向きあうというのは、しんどい反面、それ特有のたのしさをもっているものである。そのたのしさを得る機会も失われ

    コストパフォーマンス思考(下)
  • コストパフォーマンス思考(上)

    ユーザーレビューばやりである。何か観たり聴いたり読んだりしようとするとき、ブログなり店頭のポップなりを参照する。を読むなら書店員のお薦め、映画ならヤフーのユーザーレビュー、家電製品なら価格comといったぐあいに。 ユーザーレビューはたいへん役に立つ。有用だ。読者・観客・視聴者・ユーザーといったひとびと──まとめていえば、ようするに消費者だろう──の目は肥えているから、複数のレビューをチェックすれば、それなりの作品かどうか、だいたい見当がつけられる。少なくとも、大ハズレの超駄作のドツボにうっかりはまり込んでしまうような、最悪の事態だけは避けられる。だから、なにかの映画や展覧会などに興味をもったら、まずこの手のレビューサイトにくまなく目をとおし、じぶんが買ったり足を運んだりする値打ちがあるかどうかを厳しく吟味する。 そうした情報が、ごくふつうの人間でも事前に大量に収集できるのは、なんとい

    コストパフォーマンス思考(上)
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