ブックマーク / www.miyadai.com (8)

  • 究極の名作、グザヴィエ・ドラン『たかが世界の終わり』について、論じました - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 究極の名作、グザヴィエ・ドラン『たかが世界の終わり』について、論じました « 3ヶ月前に書いた『この世界の片隅に』評をアップします | 来る12月17日(木)二村ヒトシ監督とのトークイベントを開催。共著刊行後3回目です » グザヴィエ・ドランの新作は、家族の言語的歪みが<クソ社会>を生成する事実を発見した 【<場>への埋め込み=<妄想>の共有への信頼】 ■グザヴィエ・ドラン監督『たかが世界の終わり』(2016)を見ていたら吐き気がしてきた。援交女子高生らを取材していた二十年以上前、家族の葛藤話を多数聞いたが、その頃の気分を思い出した。そういえば園子温監督『紀子の卓』(2006)を見た時もそうだった。 ■今回のキーワードも前回と同じ<妄想>だ。前回は片渕須直監督『この世界の片隅に』(2016)を論じたが、少し復習したい。かつて人々は

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  • 園子温『ヒミズ』と塚本晋也『KOTOKO』について批評しました - MIYADAI.com Blog

    関連する2映画批評原稿を書きました。 園子温『ヒミズ』と塚晋也『KOTOKO』についてです。 【第一原稿】 ―――――――――――――――――――――― 「震災後のポストモダン」試論 〜園子温『ヒミズ』〜 ―――――――――――――――――――――― 【アントニオーニ『欲望』と鈴木清順『殺しの烙印』】 ■先日、私が主催する私塾において、二映画--ミケランジェロ・アントニオーニ『欲望』(1966)と鈴木清順『殺しの烙印』(1967)--を見て表現と時代の間の関係を探るという企画を立て、朝から夜まで議論した。なお参加者は大多数が二〇歳台前半である。 ■選んだ理由は二映画に共通するものにある。一口で言えば〈社会〉についての告げ知らせということになろう。『欲望』の原題は"Blow Up"(引き伸ばし)。若い世代のために言うと、ネガフィルムを透過した光を印画紙に拡大投影して焼き付ける作

  • 昨年の映画を総括しました〔一部すでにアップした文章と重なりますが…) - MIYADAI.com Blog

  • 昨今の「一見そうは見えないバンパイヤ映画」について書きました - MIYADAI.com Blog

    ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 『マジカル・ガール』『リップヴァンウィンクルの花嫁』はバンパイヤの回帰を告げるのか ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 【<贈与>から<交換>への転換】 ■ギリシャ悲劇はデルフォイの神託を核とする。神託に予言された悲劇──「オイディプス王」で言えば母との姦淫──を回避しようと渾身の努力を重ねることで却って悲劇が呼び寄せられる。そこでは「苦労して精進すれば報いられる」との<交換>の論理が否定されている。 ■ソクラテス言行録『ファイドロス』では、悲劇を回避しようと神に拝跪して生贄を捧げ罪を雪ぐ営みが、神からの交換的返礼への<依存>(ゆえの神強制)として警められ、かわりに「予言の回避が予言の実現させる不条理」を承知の上で邁進する<贈与>の論理が奨励される。 ■双方共通して、

  • 深田晃司監督『さようなら』、園子温『ひそひそ星』について書きました。 - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 深田晃司監督『さようなら』、園子温『ひそひそ星』について書きました。 « オリヴィエ・アサイヤス監督『アクトレス 女たちの舞台』について書きました | 越川道夫監督『アレノ』とミケランジェロ・アントニオーニ監督『情事』を比べました » ──────────────────────────────────────── 深田晃司監督『さようなら』、園子温『ひそひそ星』は、共にヒトよりもモノに思いを託す ──────────────────────────────────────── あらゆる分野で「感情」が浮上する ■冷戦体制終焉から25年。あらゆる分野で「感情」という主題が浮上して来た。認知考古学・進化生物学・比較認知科学・道徳心理学・政治哲学(コミュニタリアニズム)・プラグマティズム等々。全体として概念言語の健全な使用を支える言語以

  • 映画評:デビッド・フィンチャー監督『ゴーン・ガール』 - MIYADAI.com Blog

    ──────────────────────── 映画『ゴーン・ガール』はベタ女の〈委ねによる眩暈〉に対抗するメタ女の〈眩暈〉を示す ──────────────────────── 【が全てを知っているのではという恐怖】 ■援交関連のフィールドワークをしていた90年代前半、各地で既婚者男性の聞き取りを進めた。その際「自分の浮気にバレていないと思うが、ときどきが全てを知っていながら知らぬふりをしているのではないか、と恐怖に襲われる」という話に何度か出会った。だが女性から同じような話を聞いたことはない。 ■当初は性別役割の非対称性(性差別)に由来する男性の杜撰さだと思った。女性が周到なのに男性はシッポを出しやすく、そのことが男性らに自覚されているからだ⋯と。やがて、違うのではないかと感じるようになった。コミュニケーションの〈メタモード〉の有無の問題だと思うようになったのだ。 ■社会学

  • 最先端の政治思想と亜細亜主義の関連についての宮台ツイートまとめ MIYADAI.com Blog

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