タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

講談社と新書に関するbookseller56のブックマーク (3)

  • 新書は未来を予見していた。講談社現代新書50周年 - エキサイトニュース

    講談社現代新書の創刊から、この4月で50周年を迎えた。講談社のウェブサイト「現代ビジネス」でもこれを記念して、特別企画が組まれている。 そこでは、先行する岩波新書・中公新書に対し、現代新書はより広い読者層を対象とした教養新書をめざして立ち上げられたこと、はたまた、なぜ「講談社新書」ではなく、「講談社“現代”新書」となったのかなど、創刊時の秘話があきらかにされていて面白い。 思えば、いまから25年前、私が中学に入り、書店に行っても児童書以外のコーナーを覗くようになった頃、ほかの新書とくらべて講談社現代新書にはとくに親しみを感じた。もっとも、元号が平成に変わってまもない当時、光文社のカッパブックスのような実用性の高いシリーズを除けば、新書というと現代新書以外には前出の岩波新書と中公新書ぐらいしかなかったのだが。 ともあれ、自分が現代新書に親しみを抱いたのは、内容以前にブックデザインによるところ

    新書は未来を予見していた。講談社現代新書50周年 - エキサイトニュース
  • 「講談社現代新書」50周年特別企画②「創刊前夜の日々」渋谷裕久(渋谷 裕久)

    「講談社現代新書」50周年特別企画①「講談社文化を背負って」はこちら 社内の反対を押し切って ――なぜ、「講談社〝現代〟新書」というシリーズ名になったんですか? 渋谷 僕らは「講談社新書」と名付けたかったんですよ。最初の原案からずっとそうでした。しかし、社内では、「まだどうなるかよくわからないシリーズに、会社を代表するかのような名前をつけるなんて……」という雰囲気があった。それで、「現代」を足したんです。ネーミングのことで社内で喧嘩をしてつぶされるよりはマシだ、とそこは妥協したわけですね。 ――新書を創刊することについて、会社が必ずしも一丸となっていたわけではないんですね? 渋谷 一丸どころか、社内の反対は当初、とても強かったです。とくに営業サイドや重役たちは、講談社に教養新書のようなものができるわけがない、第一線で活躍している学者が講談社で書いてくれるはずがない、と考えていましたね。 執

    「講談社現代新書」50周年特別企画②「創刊前夜の日々」渋谷裕久(渋谷 裕久)
  • 現代新書50周年特別企画 村井実「講談社文化を背負って」(村井 実)

    村井 実(むらい・みのる) 1922年生まれ。1944年、広島文理科大学(現広島大学)卒業。教育思想・教育哲学の歴史的研究で知られる。慶應義塾大学名誉教授。元日教育哲学会会長。『村井実著作集』など著書多数。 戦後の模索の中で ――講談社現代新書はこのたび創刊50周年を迎えました。講談社の社史には、シリーズを立ち上げるにあたって、村井先生から「講談社も『新書』をなさったらどうですか」とアドバイスがあったことが記されています。それから、今も現代新書の巻末に必ず掲載されている「刊行のことば」(後掲)も先生が起草されたそうですね。つまり、先生は現代新書の「生みの親」です。創刊に至る経緯を振り返っていただけますか? 村井 もう50年になりましたか。最初の3冊が発売された時のことはよく覚えていますよ。私はいつも下北沢駅で電車を乗り換えていたのですが、井の頭線の売店にズラーッと並んでいた。今では考えら

    現代新書50周年特別企画 村井実「講談社文化を背負って」(村井 実)
  • 1