リビアに関しては「革命=revolution」ではなく、「騒乱あるいは暴動=uprising or riots or rebellion」というのは、ある程度この国の事情を考慮してのことだろう。1942年生まれの通称カダフィ大佐(ムアンマー・カダフィーは濁ってガダフィーとも発音される)が実質的に権力を掌握していたのは確かだが、他のアラブ諸国とは別で、国民への富の配分はある程度徹底していたようだ。従って、近隣諸国からの出稼ぎも多かった。 リビアの東西は、そもそもは別の国だ。現在も西部をトリポリタニア、東部をキレナイカと呼ぶが、カダフィの革命前の王国時代は、首都はトリポリタニアのトリポリとキレナイカのベンガジの二つであった。西部のトリポリタニアは紀元前5世紀頃からフェニキア人(カルタゴ人、ポエニ人)の国として開け、東部のキレナイカは紀元前7世紀頃からギリシア人の植民地として栄えた。 トリポリス