原佑介 @MrSARU 中学二年の頃、機関銃の弾を作る作業にあたっていた沢田昭二名古屋大学名誉教授。爆心地からは1.4キロの距離。寝ていたところ、原爆で倒壊した家の下敷きになって目が覚めたという。足元から聞こえる母の声「私を置いて逃げなさい」。天皇のための命と教わったが、「生き残ることは大事だ」と。 原佑介 @MrSARU 周りは火の海。母に逃げろと言われるが、下敷きとなった母には火が見えていない。母に謝り、逃げたという過酷な体験を。三日後、熱も冷めやらぬ街に戻り、母の骨を発見した。チャンネル2→ ( #iwakamiyasumi2 live at http://ustre.am/pPQY) 原佑介 @MrSARU 原爆投下後、1.5キロ内にいた沢田さんは、かなり被爆したと自分の研究でも解っている。しかし、80歳前後の今も元気な様子。ヒバクには、かなり個人差がある。弟は倒れた校舎の2階に。