佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun説田浩之●撮影 photo by Setsuda Hiroyuki 世界2位の快挙から20年...... 今だから語る「黄金世代」の実態 第4回:加地亮(後編) 前編から読む>> 1999年4月末、U-20日本代表はワールドユース準優勝という結果を引っ提げて凱旋帰国した。 同代表メンバーとしてナイジェリアの地で奮闘した加地亮(かじ・あきら)は、その経験を踏まえて、さらなる成長を図るため、自身の担当エージェントに「海外へ移籍したい」と申し出た。 ワールドユースで「世界」を知った加地亮は海外への移籍を考えたが...。photo by Yanagawa Go エージェントは、加地の訴えにこう答えた。 「おまえ、アホか」 それは、痛烈なひと言だった。 1999年4月時点において欧州でプレーしていた日本人は、カズこと三浦知良と、中田英寿のふたり
佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun説田浩之●撮影 photo by Setsuda Hiroyuki 世界2位の快挙から20年...... 今だから語る「黄金世代」の実態 第4回:加地亮(前編) 「俺、ワールドユースに行けるんかなぁ......」 1999年ワールドユース(現・U-20W杯)・ナイジェリア大会で、U-20日本代表は準優勝に輝いた。その数カ月前、同代表チームがフランス&ブルキナファソ遠征を実施した際、遠征メンバーのひとりである加地亮(かじ・あきら)は、そんなことを思っていたという。 「本大会では、合宿メンバーから数名が(代表メンバーから)落ちるわけじゃないですか。このメンバーと『一緒にいたい』というより、このメンバーの中で『生き残れるのかなぁ』って、(遠征中は)そのことばかり考えていた」 1999年ワールドユースについて振り返る加地亮 のちの2006年ド
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ラウル、ロナウドにも“負けない”DF その日は初夏だというのに、肌が痛いほどの日差しだった。 みなとみらいにあるマリノスタウンでの練習を終えた彼は、チームの駐車場を素通りした。愛車が修理中のため、徒歩で裏道から市営地下鉄の横浜駅に向かう。群馬の桐生市の生まれだが、高校卒業後は16年間も横浜で暮らし、獅子ヶ谷に練習場があった新人の頃は電車を使っていたこともあり、足取りは軽快だ。道すがら、チームの“親会社”である日産の新車展示場で、何気なく手渡されたチラシを彼は受け取る。 「俺は他人を認めずにやってきたと思う」 彼はチラシをポケットにしまいながら、さりげなく信条を口にした。 「だから練習でも“今日死んでもいい”というところまで追い込んでやって来た。いつも自分に問いかけた。“あなたはグラウンドで一番でしたか? 練習中、一番戦っていましたか?”って。周りにどう言われようが、妥協したくなかったから、
強運を引き寄せてきたサッカー人生 暑さが和(やわ)らいできた初秋の折り、男は東京都足立区にある舎人(とねり)公園陸上競技場にいた。Jリーグの若手選手中心で行なわれるサテライトリーグの一戦が間もなく始まるところだった。スタンドは満席でも、入場者数は1750人。5万人を収容するトップチームの競技場とは比べるべくもない。芝生も凹凸が目立った。試合前のアップ、彼が蹴ったボールは明後日(あさって)の方角に飛んでしまう。軽く舌を打ちし、恨めしげに芝を踏みしめた。 スタンドに陣取った客のひとりは、その仕草が癪(しゃく)に障ったようだ。 「ピッチのせいにすんなー。下手くそなキックしやがって! だからサテなんだよ」 観客の辛辣(しんらつ)な反応は、その選手に対する期待の裏返しでもある。 男は24歳の若さでワールドカップのピッチに立っている。それはあらゆるサッカー選手が憧れる舞台だ。以来3年、脂がのった年を迎
ベテランの受難が続くサッカー界で 現役にこだわるのには理由がある。 かつての人気者は、弱音を吐く こともなく、胸を張った。 Sportivaのノンフィクション連載が復活! 2008年12月、仙台。外は底冷えする寒さで、通りを歩く人々はコートの襟を立てて背筋を縮こませていた。店内には食欲をそそる牛タンの焦げた匂いが香った。 「体がぼろぼろになるまで、ボールを追えなくなるまで、オレはサッカーをやりますよ。せっかくサッカー選手をやれたのに、中途半端で終わったら罰が当たる。だから現役にこだわっているんです」 彼は鳥龍茶を飲み干すと一気に捲し立てた。 2008シーズン限りでJ2ベガルタ仙台から戦力外通告を受け、来季の所属先が決まっていなかった。仙台ではスーパーサブとして終盤に投入され、決勝点をアシスト。それは必勝パターンだった。関係者は「彼のピンポイントクロスは絶品。勝ち点15は稼いだ」と活
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