中村 輝夫(なかむら てるお、1919年〈大正8年〉10月8日 - 1979年〈民国68年〉6月15日)は、台湾原住民アミ族出身の元高砂義勇隊員。 中村輝夫には日本名、民族名、漢名の3つの名前があり、民族名はSuniuo(カタカナでは「スニヨン」と書かれ、彼の民族名を冠した書籍も発刊されている。繁体字中国語: 史尼育唔)、漢名は李光輝といった。 本項では他の日本統治時代生まれの台湾原住民の人物についても日本名を使用するが、初出の場合のみ()内に民族名と漢名を併記する。なお、戦後生まれの台湾原住民の人物については漢名を使用する。 生い立ち[編集] 中村輝夫(以下、「中村」と記す)は1919年(大正8年)10月8日、台東庁成広澳支庁都歴庄(現:台東県成功鎮都歴部落)の農家に6人兄弟の末っ子として生まれる。 中村は公学校4年生まで成績はオール5であり、野球や相撲が好きな少年であった。同級生の話に