今週、とある説明会で「トルコが親日的である理由を話すように」という課題が与えられたので、その際、作製したレジュメに加筆し、転載します。出だしから7割くらいの分量までは広く知られたお話です。 エルトゥールル号事件前史 露土戦争(1877,78年)に敗れ、バルカン半島をはじめ広大な領土を失ったオスマントルコは、さらなるロシアの南下政策に悩んでいた。西欧列強からは不平等条約を強いられ、トルコは近代化を図るために日本の明治維新を手本にした。 エルトゥールル号遭難の4年前、明治19(1886)年に、イギリス貨物船ノルマントン号の事件が起きた。難破して沈没する船を放置して船長のドレイク以下外国人船員は全員がボートで脱出、乗り合わせていた日本人乗客25名は見捨てられ、全員船中に取り残されて溺死するという悲惨な事件だった。領事裁判権を持つイギリス領事は船長に無罪判決を下した。のちに日本政府は船長を殺人罪で