この手の話は、なんか肉屋臭いんでどうかもとも思うけど。 私の誤解かもですが、日本人が「神」というとき、日本の八百万の神(ちなみにそんなものはなくて日本の古代は実は道教ですけど)とかのつまんない議論は別として、唯一神とかいうとき、又吉さんなんかのあれもたぶんそうかなと思うけど、創造者と被造物という枠組みの感覚が抜けているように思うのですよ。 天も地も諸生物もというか存在そのものを(アウグスチヌス的に言うと時間も)、神が創造した、というか、その創造者としての「神」という感覚と、自分が被造物であり、諸存在が被造物であるという感覚はあまりないんだと思う。 というか、またアレゲな話なんだけど、思春期の終わりころ、私は、この感覚が愕然とやってきて、私も諸存在もというか存在というのは被造物なのだとあっけらかんと腑に落ちてしまって、がらがら世界観が変わったというか、世界が異様にくっきりと見えた記憶があるの