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2010年4月14日のブックマーク (4件)

  • 87万部売れてもビンボーな理由&出版流通のしくみ – イシブログケンゴ

    よく勘違いされるんです。お金持ってると(笑)。 みなさん曰く「あんなに売れてドラマや映画にもなったんだからさぞや…」 NOOOOOOOOO!!(石丸元章風) 今日は具体的数字をあげて、 『盲導犬クイールの一生』1冊の収支と他の状況を説明したいと思います。 出版に関わっていない人には特に興味深いかと。 まず、単行の売上げ(厳密には刷り部数)は、87万部。初版が6000部でした。 初版部数が少ないので、定価は、1500円(税込)。 印税は、通常、単著ならば10%。 共著などでは、その10%を分配しますが、 配分の割合は千差万別で長引くのでまた別の機会に。 このは写真の秋元さんと僕、そして盲導犬関連団体への寄付金で、 3分の1づつとしました。 ■の総売上げ金額 1500円×87万部=13億500万 (今知ったけどこう言われるとすごい迫力!) の利益は、ざざざっくり言うと、以下の感じ。 細

    87万部売れてもビンボーな理由&出版流通のしくみ – イシブログケンゴ
  • 「やまうちようどう」の謎 - jun-jun1965の日記

    『竜馬伝』で、山内容堂を「やまうちようどう」と呼んでいる。これは『功名が辻』の時に、従来やまのうちと読まれてきたが、浅井茶々の手紙と『寛政重修諸家譜』に「やまうち」とあるからと訂正したものだ。 しかし、それならいったいいつから「やまのうち」になったのかを確認しなければいけないのだ。もしかすると新井白石の時代以後「やまのうち」になったのかもしれず、むろん混在していた時期もあっただろう。仮に一豊が「やまうち」だったとして、幕末期にみなが「やまうち」と読んでいたら、明治以後「やまのうち」と言われたら、山内家で訂正したはずだと思うのだが。 (付記)その後情報が入り、明治以後、家はやまうち、分家はやまのうちとしたという。これは面白い。松山には池内家というのがあって、高浜虚子が池内家の出身で、息子は池内友次郎だ。伊丹万作も池内だが、前者はいけのうち、後者はいけうちで、前者は家柄がいいという。山内と逆

    「やまうちようどう」の謎 - jun-jun1965の日記
    breaststroking
    breaststroking 2010/04/14
    『巡礼』批評。二点目の批判は妥当だが、それを抜いても作品に凄みがある。
  • 白石一文の反噬  - jun-jun1965の日記

    昨日の産経新聞で、こないだの直木賞をとった白石一文が、まだ小説を書く気になれずにいると書いている。いったい小説は社会を変えることはできない、そんなことでいいのかという。留保もなく書いている。 私は白石の受賞作をくだらないと思うが、当人も、直木賞狙いで書いたと言っていたから、当に書きたいものを書いたのではないのだろう。別に小説に限らず、言論は無力だが、それでもまだ、真実を社会に伝えるノンフィクションのほうがいい、という。 なかなかいいことを言うなと思った。むしろ、直木賞を与えた側に対する嫌味を立て続けに発しているともいえる。それで「反噬=恩ある人を裏切ること」とした。 私も近頃の、こしらえもの小説にはうんざりしつつあって、私小説こそ当の純文学だと、久米正雄みたいに言ってみたくなる。

    白石一文の反噬  - jun-jun1965の日記
  • 2010-04-11 - 猫を償うに猫をもってせよ

    私もオタどんに倣ってゼロ年代(この言葉好きじゃないが)のベストをあげてみよう。 桃谷方子『百合祭』2000 加藤詩子『一条さゆりの真実』2001 酒井邦嘉『言語と脳科学』2002 猿谷要『ハワイ王朝最後の女王』2003 阿部和重『シンセミア』2003 沓掛良彦『エロスの祭司 評伝ピエール・ルイス』2003 坪内祐三『『別れる理由』が気になって』2005 勝目梓『小説家』2006 西村賢太『どうで死ぬ身のひと踊り』2006 2007年以降はないのか? といえば、まだ読んでいないのがあるのかもしれないし、やはり三年くらいたたないと冷静な判断はできない。 - 『黒船前夜』が朝日にも書評が出て、これで読売、毎日、東京と揃ったわけで、しかしあれって他人ののつぎはぎで、別に新事実はないと思うのだが。 - たぶん単行に入っていないのだろうが、島田雅彦が無限カノン三部作を出した時に福田和也が批判した

    2010-04-11 - 猫を償うに猫をもってせよ
    breaststroking
    breaststroking 2010/04/14
    2000-2006ベスト