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2022年10月31日のブックマーク (5件)

  • 女性候補者への投票を避けている

    はてなでは、選挙ではなるべく女性候補者に入れるようにしている、という人が多い。投票行動は個人の自由なのでそこに口を出す気はないけど、自分は逆に、女性候補者への投票はなるべく避けることにしている。 といっても、前は割と女性候補者に投票してた。吉良よし子議員にも票を入れたことがある。表現の自由を尊重する姿勢を見せていたし、女性議員が増えるのは良いことだろうと思っていたからだ。 でも、前回の衆院選で吉良候補は「“こういう表現は当にまずいよね”“儲からないよね”という合意」という発言を堂々としていた。ありえない。俺の一票がフェミニズム的な表現規制に使われた。 立憲や共産といった左派政党は、近年フェミニズム勢力の浸透が進んでいる。選択的夫婦別姓やら緊急避妊薬承認やら再婚制限撤廃やら中絶の自由やらは支持するけど、表現規制にも踏み込んでこようとする人が多いので、基的にフェミニズムというだけで警戒して

    女性候補者への投票を避けている
    brightsoda
    brightsoda 2022/10/31
    “もしくは野党で表現規制反対を前面に出して闘ってる女性候補者に票を入れよう、ということになる。” 避けてなくて草
  • https://twitter.com/sono_aqua_pfm/status/1586556900271067136

    https://twitter.com/sono_aqua_pfm/status/1586556900271067136
    brightsoda
    brightsoda 2022/10/31
    “とかく人間は生き物を擬人化し、感情的になる傾向にある。” → 白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ →あのペリカンさみしそう 波にフワフワして
  • 洗濯がない生活

    ユニクロのようなところに行き 服を選び いま着ているものを脱いで 脱衣ボックスの中に入れる。 AIは脱衣ボックスの中の服を 再利用のためにクリーニングするか 廃棄するかを選りわける。 家には服がなく必要があればユニクロのようなところに行く。 バスタオルなどは配送される。 使ったものは洗濯袋に入れて玄関に出す。 こういう感じにならないものか。

    洗濯がない生活
    brightsoda
    brightsoda 2022/10/31
    >daydollorbotch 毎回違うデザインの服が着たいんだろう、多分。その点タオルは擦り切れるまで同じものでいい
  • Adoさんがプリキュアを歌ったことが批判された件は非実在型炎上だったのか(鳥海不二夫) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    歌手のAdoさんがプリキュア5、スマイル go go! を歌ったことで,批判が続出したという記事がスポニチアネックス(現在は削除済み)や日刊サイゾーなどで掲載されました. ところが、一部では「プリキュア好きだから、Adoに歌ってほしくなかった」「Adoが関わると界隈が荒れる。自分の推しコンテンツが踏み荒らされるのが辛くて悲しくて許せない」「原曲へのリスペクトが感じられない」「プリキュアファンなのは知ってたけど、もうお前こっち側の人間じゃないじゃん」などと批判的な意見が噴出した。 その中では,Adoさんが批判に対して謝罪したことも話題になりました. では,実際には批判はどのくらいあったのでしょうか? 「どうせまた大して炎上していない非実在型炎上だったんでしょ?」 と思いながら分析してみました. 10月19日~29日までで,Adoと「プリキュア」や「謝罪」が一緒に出現したツイートや,Adoさん

    Adoさんがプリキュアを歌ったことが批判された件は非実在型炎上だったのか(鳥海不二夫) - エキスパート - Yahoo!ニュース
    brightsoda
    brightsoda 2022/10/31
    richest21が言いたいこととは関係ないが、童謡はよく合唱音源になってるイメージがあるので個人的に馴染む ちなみに赤とんぼは声楽者用の高難度曲で、素人がうっかり全力で歌うと「ゆうやーけこやグェ」に
  • パンにこだわるのって女性だよな

    なんか中年のおっさんほど安いジャムパンで十分だみたいに毎日ってるんだけど、 中年の女性ほど天然酵母パンを隣町まで車飛ばして買いに行く人が多い。 この違いはなんだ。

    パンにこだわるのって女性だよな
    brightsoda
    brightsoda 2022/10/31
    >el_bronco 統計に対して個人の感覚で反論するのはたいてい無意味だけど、これはソースのない個人の感覚に個人の感覚で反論しているのだ