花嫁衣装の背面上部、または背面一面が鱗状の模様で覆われることがある。ナーナイ族とウリチ族の女性と子どもは成人男性に比べ、悪霊にとりつかれやすく、そのような悪霊は人々の気づきにくい背後から接近する事が多いと説明する。そして鱗文には魔除けの力が宿ると信じている。 日々の生活においてサケが重要な位置を占める世界中の「サケの民」たち。今回はアムール川流域のナーナイ族族の信仰や世界観を前回に続いて、手塚薫氏(北海道学園大学人文学部教授)の論文『アムール川流域におけるナーナイ族とウリチ族の象徴表現―世界樹と動物をめぐる信仰―』から抜粋し、ご紹介させていただきます。 (なお、本文中には部族名などオリジナルと一部表記を変えて掲載させていただいている箇所があります) さて、アムール川中流から下流にかけて居住するトゥングース・満州諸語を話す集団に含まれるナーナイ族、ウリチ族には共通する樹木信仰がある。ナーナイ
〜南部は源氏、津軽は平氏〜 「平と源の語源知ってますか?」 時はもうすぐ令和 今上天皇が退位なされ新しい時代がもうすぐやってきます。 それに伴い最近、皇室に関するニュースをよく見かけます。 今上天皇は退位なさると御身分はどうなる? とか...
サハリンなどについて、前回書くのを忘れた、読んだweb資料をいくつか。 アイヌ文化振興・研究推進機構 いろいろ情報があります。(いろいろありすぎて必要な情報を探すのは大変だけど) シリーズ 東アジアの中の日本の歴史〜中世・近世編〜 【第3回】オホーツク世界と日本 http://www.nippon.com/ja/features/c00103/ この記事で歴史的事情がおよそわかる。『元史』の骨嵬征討記事があったり、千島からカムチャツカの事情がわかったり。(結果的にアイヌはサハリンから追い出されたわけじゃなく、むしろサハリンでの存在を元に公式に認めさせたようだ。それでN9bも北へ進出したのか。*1) こんな記事(オホーツク人のDNA解読に成功)もあるんですが、ここには日本側集団をいつでも影響される側に置いて解釈する悪癖が出てる、と思うんですよ。因果律は、常に逆方向・共通祖先など別の可能性を押
北海道のオホーツク海地域は18世紀後半から19世紀初めに日本の歴史に登場する。だが、それ以前にもアイヌやツングース系の人びとの豊かな歴史があった。 北海道のオホーツク海地域、すなわちオホーツク世界が日本の歴史に登場するのは、18世紀後半から19世紀初めにかけて、千島列島を南下して来たロシア人とそれを排除しようとした日本人の間に衝突が頻繁に発生した以降のことである。しかしながら、北海道に居住していたアイヌ民族は13世紀ごろから北はサハリンに、東は千島列島からカムチャツカ半島に進出して北方の諸民族と交易や交流を展開していた。 アイヌ民族のサハリン進出――13世紀―― 図1 『元史』巻5、フビライ統治期の至元元年(1264年)11月、骨嵬を征討した記事(右から4~6行目)が記載されている。 1263年11月に、モンゴル帝国の第5代皇帝フビライはアムール川下流域を支配下に組み込むと、そこに居住し
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