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2014年11月6日のブックマーク (4件)

  • コラム別に読む : わたしはマララ—教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女 [著]マララ・ユスフザイ、クリスティーナ・ラム - 斎藤環(精神科医) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    HOME> コラム別に読む> 売れてる> わたしはマララ—教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女 [著]マララ・ユスフザイ、クリスティーナ・ラム ■不屈の意志と鋭い政治意識 女子の教育を受ける権利を主張してタリバーンに銃撃された少女マララは、2014年、史上最年少の17歳で、ノーベル平和賞を受賞した。未来のマザー・テレサとも呼ばれ、民族服のシャルワールカミズをまとったジャンヌ・ダルクにも比すべき彼女は、故国パキスタンのスワート渓谷でどんな日常を送っていたのか。そうした興味から書を手に取った人も多いだろう。 日人にはあらゆる意味でなじみのない中東の文化。しかしそのヴェールをめくってみれば、映画「トワイライト」やジャスティン・ビーバーに熱中し、ドラマ「アグリー・ベティ」を見て出版社勤務に憧れる、世界のどこにでもいそうな普通の少女の日常があった。 普通ではないのは、その不屈の意志と

    コラム別に読む : わたしはマララ—教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女 [著]マララ・ユスフザイ、クリスティーナ・ラム - 斎藤環(精神科医) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/11/06
    「全世界的な称賛のかげで、マララの故国パキスタンの保守層には、彼女を批判する声もあるという。パキスタンの政治状況の複雑さについては、本書からもその一端はうかがい知れる」
  • コラム別に読む : 坂本義和の平和論 酒井哲哉が選ぶ本 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    ■リアリズム踏まえた理想主義 坂義和は論壇における理想主義的国際政治論の雄として名高い。軍縮と平和を説き、現実主義者と激しい論争を繰り広げた坂は、戦後日の平和論の象徴的存在と通常は理解されている。10月7日付の紙に掲載された訃報(ふほう)には、坂の議論の賛同者も批判者も、それぞれに深い感慨を持ったことだろう。 だが、今日改めて坂の著作を振り返ったとき、それらは単純に理想主義的な議論として一括(ひとくく)りにはできないことに気づく。坂が最初に手がけたのは、近代保守主義の代表的思想家であるバークのフランス革命観を中心とした思想史研究だった。イデオロギーと権力政治が交錯する点で、フランス革命と冷戦は重なりを持っている。過去の優れた保守主義の思想を知ることで現在の自分の位置を見定めることが、坂の出発点だった。未完のこの助手論文に晩年手を入れて完成した『国際政治と保守思想』には、ウィ

    コラム別に読む : 坂本義和の平和論 酒井哲哉が選ぶ本 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/11/06
    さすが酒井哲哉。当たり前だがちゃんとしている。「戦後平和論における顕教と密教の重層的な構造を読みとることが、今日の読者には求められているのではないだろうか」
  • 「すき家」と神奈川県が人事交流 社長と知事が懇意?:朝日新聞デジタル

    神奈川県が、外大手「ゼンショーホールディングス」(東京)と10月から人事交流を始めたことが5日わかった。同社が運営する牛丼チェーン「すき家」では、長時間残業など従業員の過酷な労働が社会問題化。小川賢太郎社長と黒岩祐治知事は親しいとされることもあり、県議会からは人事交流に疑問の声が出ている。 5日の県議会決算特別委員会で、敷田博昭氏(自民)の質問に県が答えた。 県によると、黒岩知事肝いりの健康・医療政策を進める部署にゼンショーの30代男性社員を10月から受け入れ、県の20代男性職員をゼンショー社長室に派遣した。期間は1年半という。

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/11/06
    カワイソス
  • 庵野秀明監督「アニメーターの技術は、今でも『オネアミスの翼』が最高峰」と断言 - 自らのキャリアを語る

    レポート 庵野秀明監督「アニメーター技術は、今でも『オネアミスの翼』が最高峰」と断言 - 自らのキャリアを語る 庵野監督といえば巨神兵を描いたことで有名だが、もともとは別のスタッフが予定されていた。来なら、参加したばかりの新人に任せられるパートではなかったというが、「『ナウシカ』は宮さんが普段使っている人がほとんどいなくて、メインは鈴木さんが集めたスタッフ。当に外人部隊でした」という状態だったこともあり、庵野監督が原画を担当することになった。 「どうも煙を描いたら気に入られたみたいです。そのシーンが終わったら、次は巨神兵と王蟲が戦うところをやってほしいと言われました。宮さんが最初に描いていたコンテが実によかったんですよ。巨神兵は溶けてなくて、王蟲の群れの中に入って、ちぎっては投げちぎっては投げしているんです。だけど最後は王蟲の数に潰されてしまう。これはかっこいいけど大変だな、自分に描

    庵野秀明監督「アニメーターの技術は、今でも『オネアミスの翼』が最高峰」と断言 - 自らのキャリアを語る
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/11/06
    「宮さんが最初に描いていたコンテが実によかったんですよ。巨神兵は溶けてなくて、王蟲の群れの中に入って、ちぎっては投げちぎっては投げしているんです。だけど最後は王蟲の数に潰されてしまう」