自民支持5割、小池氏に=推薦の増田氏上回る-都知事選出口調査【都知事選】 31日投開票の東京都知事選で時事通信が実施した出口調査によると、自民党支持層の投票先として最も多かったのは小池百合子氏の52%で、同党の推薦候補だった増田寛也氏の40%を上回った。小池氏は、全体の半数近くを占めた「支持政党なし」の無党派層からも50%を獲得し、他の候補を引き離した。 公明党支持層のうち63%が同党推薦の増田氏に投じたが、31%は小池氏に流れた。鳥越俊太郎氏を推薦した民進党の支持層では、56%が鳥越氏に投票したが、30%は小池氏に一票を託した。増田、鳥越両氏は組織を固めきれず、政党推薦なしで臨んだ小池氏が票を奪う形となった。無党派層でも、増田氏は23%、鳥越氏は19%の得票にとどまった。 年代別の投票先を見ると、全ての年代で小池氏が最も支持を集めた。30代~40代で5割を超えたのをはじめ、幅広く浸透
どこかで聞いたような… 美濃部革新都政が誕生した選挙で、美濃部陣営に加わった中野好夫が当時の社会党に対して、それまでの都知事選挙(社会党は田川・加藤・有田・阪本の4候補を歴代担いできた)の経過をふりかえって加えた批判は次のようなものだった(中野「革新都政を支えるものは何か」)。 田川、加藤の選挙には全く関係しなかったが、二度の有田選挙、そして前回の阪本*1 選挙には、いずれも多少ながらこれに関係させられた。さてその敗戦後におけるこれら候補者に対する〔社会――引用者注〕党の処遇は、明らかによくなかった。不信義とさえいえると思う。まるで担ぎ出しておいて、あとはポイといってよい形だった。(岡田『革新自治体』p.85に中野の引用) 美濃部を候補者と選び出すまでに、革新陣営は二転三転している。 まず、国民的人気があったとされる社会党の江田三郎。 江田に都議会が少数与党であることなどを理由に断られ、総
安倍晋三首相は30日夜、東京都内のホテルでおおさか維新の会の橋下徹・前代表と会食した。首相は憲法改正について「憲法審査会で議論をやっていきたい」と述べ、議論を促進したいとの意向を示した。おおさか維新も前向きに応じた。 会食には、菅義偉官房長官とおおさか維新の松井一郎代表、馬場伸幸幹事長も同席。首相は憲法改正に対する「強い思い」(出席者)を示したという。おおさか維新も独自の改憲草案を作成しており、憲法審査会での議論に前向きに加わる考えを伝えた。 与党におおさか維新などを加えた「改憲勢力」が、憲法改正の国会発議が可能な衆参の「3分の2」を超えたことを踏まえ、改憲に向けて互いに連携することを確認したとみられる。首相が橋下氏と会談するのは昨年12月以来。
今夜のBGM・・・ ザ・ドリフターズ / ドリフのシングルコレクション ドリフ。その言葉を口にしただけで、おもわず頬がゆるむ。 パブロフの犬のように、それは幼少時代の記憶の奥深く、完全に刷り込まれてしまっており、もうどうすることも出来ない。 ごぞんじのように、ザ・ドリフターズといえば、いかりやはカントリー&ウエスタン、仲本はロカビリー、高木はハワイアン、加藤はジャズ、といったように、それぞれが異なる音楽のバックグラウンドを持ったミュージシャンの集合体である。(唯一荒井は楽器ができなかった。)特に、いかりやはカントリーの名門バンド、ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズのベース奏者だった。晩年のビールのCMでベースを弾く長さんの姿に「かっこいい!」と唸った方も多いのではないだろうか。 ドリフの全盛期といえば68年~73年ごろ、カトちゃんの無邪気なキャラと、荒井のオヤジキャラの対比が爆笑をさそ
大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。 同親方は2015年名古屋場所を全休し、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けた。その後は職務に復帰していたが、最近はがんの転移が見つかったとされ、闘病を続けていた。 九重親方の略歴は以下の通り。 ◆九重貢(ここのえ・みつぐ)元横綱千代の富士。本名は秋元貢。1955年(昭30)6月1日、北海道松前郡福島町生まれ。70年秋場所初土俵。75年秋新入幕。81年秋から横綱に。通算1045勝。優勝31回。三賞7度。金星3個。89年には国民栄誉賞に輝いた。91年夏場所限りで引退後、年寄陣幕襲名。92年4月に九重を襲名し部屋の師匠に。08年2月に理事初当選。広報部長、審判部長、巡業部長などを経て、12年2月から事業部長。15年名古屋場所を休場し、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けていた。家族は夫人と1男2女。現役
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