タグ

2018年12月10日のブックマーク (9件)

  • 防衛費総額、5年で27兆円へ | ロイター

    日銀の植田和男総裁は14日、金融政策決定会合後の記者会見で、長期国債の買い入れについて「減額する以上は相応の規模になる」との考えを示した。具体的な減額の幅やペース、枠組みは「市場参加者の意見も確認しながら、しっかりした減額計画を作っていきたい」と語った。 経済category国債買い入れ、次回会合で今後1―2年の減額計画を決定へ=日銀日銀は13—14日に開いた金融政策決定会合で、国債買い入れについて、市場参加者の意見も確認した上で次回7月の決定会合で今後1―2年程度の具体的な減額計画を決めることを決定した。次回会合までは3月会合で決めた月間6兆円程度の買い入れを継続する。7月会合後、金融市場で長期金利がより自由な形で形成されるよう、国債買い入れを減額していく方針を示した。 午前 4:11 UTC日銀、次回会合で減額計画決定へ:識者はこうみる

    防衛費総額、5年で27兆円へ | ロイター
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2018/12/10
    トイレットペーパーがどうこうと言って国民の同情を買った甲斐があった(違
  • 革新機構の田中社長ら辞任表明=経産省と対立解けず-機能停止の危機に:時事ドットコム

    田中社長ら取締役9人辞任へ=革新機構、機能停止の危機-経産省と対立 2018年12月10日17時49分 記者会見で辞任の意向を表明し、厳しい表情を見せる産業革新投資機構(JIC)の田中正明社長=10日午後、東京都千代田区 官民ファンドの産業革新投資機構(JIC)の田中正明社長は10日午後、東京都内で記者会見し、自らを含む民間出身の取締役9人全員が辞任すると表明した。所管する経済産業省と報酬、投資手法をめぐり対立。「経産省の姿勢の変化により、目的達成が困難になった」と語った。日経済の成長をけん引するため新産業の創出を目指した官民ファンドは、発足から3カ月足らずで機能停止の危機に陥った。 辞任するのは、田中氏のほか、取締役会議長の坂根正弘氏(コマツ相談役)、金子恭規副社長、佃秀昭専務、戸矢博明専務ら。取締役全11人のうち、経産、財務両省出身の2人を除き残務整理後、総退陣する。田中氏ら金融分野

    革新機構の田中社長ら辞任表明=経産省と対立解けず-機能停止の危機に:時事ドットコム
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2018/12/10
    9月に発足した産業革新投資機構JICの取締役の報酬について、官邸が高すぎると批判。経産省が報酬の取り決めを撤回、さらに投資についても政府の関与を強めようとしたと。そりゃ怒るわな/官邸がよほど怖いんやな
  • 順大入試、女子を一律に減点「コミュ力が高いため補正」:朝日新聞デジタル

    順天堂大(東京都)は10日、医学部入試をめぐって設置した第三者委員会から「合理的な理由なく、女子や浪人回数の多い受験生を不利に扱っていた」と指摘されたと公表した。特に面接などが行われる2次試験では「女子はコミュニケーション能力が高いため、補正する必要がある」として点数を一律に下げていた。大学によるとこの結果、2017、18年春の入試では計165人が不当に不合格となった。大学はこのうち、2次試験で不合格となった48人(うち女子47人)を追加合格にする方針という。 第三者委の報告書によると、女子を不利に扱っていた理由を順大の教職員らに聞き取り調査をしたところ、①女子が男子よりも精神的な成熟が早く、受験時はコミュニケーション能力も高い傾向にあるが、入学後はその差が解消されるため補正を行う必要があった②医学部1年生全員が入る千葉県印西市のキャンパスの女子寮の収容人数が少ない――と説明があったという

    順大入試、女子を一律に減点「コミュ力が高いため補正」:朝日新聞デジタル
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2018/12/10
    “女子が男子よりも精神的な成熟が早く、受験時はコミュニケーション能力も高い傾向にあるが、入学後はその差が解消されるため補正を行う必要があった”…この科学的思考力、さすが医学部や!
  • 【日本国紀】「マッカーサー神社」なる都市伝説を信じてしまう百田尚樹の妙 | 論壇net

    【日本国紀】「マッカーサー神社」なる都市伝説を信じてしまう百田尚樹の妙 | 論壇net
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2018/12/10
    こりゃまたひっそり訂正かな?
  • 刺殺か視察か(西郷どんこぼれ話45) | 鈴木亮平 オフィシャルブログ 「Neutral」 Powered by Ameba

    第45話『西郷、立つ』 観ていただきありがとうございました! 西郷家より いかがでしたでしょうか。 今回は、やはり辛い回となってしまいました。 あの電信の【シサツ】は、「刺殺」か「視察」か。 これは今も歴史のミステリーとして語られている有名な話かと思います。 ただの視察であったのに拷問で嘘の自供を強いられたのか、当に刺殺だったのか、それともどちらとも取れるように送った政府の罠か。 「西郷どん」としての答えは皆で表現したつもりですが、同時にあの瞬間を生きてみて気が付きました。 それは「どちらでも一緒だ」ということ。 すでに反乱の火蓋を切ってしまった若者たち。 吉之助に残された選択肢は、「彼らを見殺しにするか否か」しかありませんでした。 そして吉之助は、「兵を連れて東京まで行軍する」という道に一縷の望みを賭けることになります。 これは、かつて斉彬公と共に画策したこと、また久光公が実際にやった

    刺殺か視察か(西郷どんこぼれ話45) | 鈴木亮平 オフィシャルブログ 「Neutral」 Powered by Ameba
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2018/12/10
    船で東京に乗りつけ、そこから陸軍大将の権限で軍に命令を下せばクーデターは成功したはず、西郷がそれを考えなかったはずがない、という考証の先生の話が興味深い
  • 戦争画リターンズ

    「そんな中でただ一つ、こちらを良い意味で「ムラムラさせる」絵がありました。それが藤田さんの『アッツ島玉砕』だったのです」 この一文は、会田誠が『美術手帖』2006年6月号に掲載した「藤田嗣治さんについて」という文章の中にある(『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』所収)。前回、前々回で引用した『ユリイカ』でのインタビュー以外にも、会田誠による藤田嗣治論がほぼ同時に開陳されたのは、国立近代美術館で開かれた大規模な「藤田嗣治展」がらみの雑誌特集企画用だったからだ。 『美術手帖』の「藤田嗣治さんについて」は、「エコール・ド・パリ時代の藤田さんの絵や生き様」を村上隆と比較し、「戦後の藤田さんの絵や生き様」を奈良美智と比較して、今をときめく二人の画家と並べて、「藤田さんの現代性」とやらをあぶりだしてゆく。戦争画については、その導入部として書かれているだけである。しかし、この文章は、発

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2018/12/10
    野見山暁治著『四百字のデッサン』/藤田嗣治
  • 会田誠+松蔭浩之トークレポート【その1】 | 三菱地所アルティアム

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2018/12/10
    会田誠作品を嫌う「経団連関係のご令嬢」の話が面白い
  • 【Webzineタマガ】会田誠が描いたサラリーマンの山はここにあった/タマガこの1点

    炭鉱のボタ山のような盛り上がりが並ぶ風景を、モノトーンを基調に描いた一枚の絵。縦3m×横7mの大作である。近寄ってみると、はかばかしくない何かを暗示しているような空気がみなぎっている。それぞれの盛り上がりは、人が積み重なってできたものであり、みなサラリーマンの格好をして倒れているように見える。作者は現代美術家の会田誠。作品名は「灰色の山」。岐阜市の岐阜県美術館で開催中の「てくてく現代美術世界一周」展に出品されている。 ボタ山のように感じるのが、画家の意図だったかどうかは分からない。しかし、ボタ山を構成する石炭採掘現場の捨て石が“近代日の遺物”である点を考えれば、あながち的外れの連想とは言えないだろう。折しも、会田の着想を逆方向から確かめるかのように、福岡県の三池炭鉱が、同県の官営八幡製鉄所など他の明治時代の産業関連の遺物とともに世界文化遺産への登録の見通しが立つというニュースが飛び込んで

    【Webzineタマガ】会田誠が描いたサラリーマンの山はここにあった/タマガこの1点
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2018/12/10
    会田誠の「灰色の山」。“サラリーマンをテーマに描いたこの大作が企業経営者の手元にあること自体、極めて意義深い。”
  • 『大隈重信と政党政治』2003年 五百旗頭薫さん : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    弱点と共存する術得る 『大隈重信と政党政治』 私はテストで点を取るのが少し得意なだけで、世界の矛盾や人生の苦しみについて何も知らないまま、東京大学に進学した。 中高時代は神戸の六甲というイエズス会系の学校で過ごした。宗教的な行事はあれど信仰を強制するわけでなく、厳しい生活指導はあれど世渡りを教えるわけでなく、勉強をてきぱき教えるほかに生徒と膨大な時間を過ごすのが仕事と心得た神父や教師がいるばかり。茫然(ぼうぜん)と六年が過ぎた。 大学で自分が万事うかつであることに仰天し、弁論やディベートを学び、哲学を読んだ。だが虚勢ばかりで特段の境地には至らない。哲学よりは歴史の方が楽だろうと、日政治外交史の研究者を目指した。その大変さを何も知らないままの選択であった。同業者となる父(真、日政治外交史、当時は神戸大教授)が楽しそうにしていたのがいけなかった。 案の定、研究ははかどらない。指導教官の三谷

    『大隈重信と政党政治』2003年 五百旗頭薫さん : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2018/12/10
    “その大変さを何も知らないままの選択であった。同業者となる父(真、日本政治外交史、当時は神戸大教授)が楽しそうにしていたのがいけなかった。”w