日本学術会議が推薦した新会員候補6人を菅首相(当時)が任命しませんでした。異例の事態の背景や問題点を追います。
学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか? 2020.10.07 Updated by Yoichiro Murakami on October 7, 2020, 17:47 pm JST 日本学術会議次期会員の推薦候補の一部を内閣が任命しなかった事について、出発点から、「学問の自由の侵害」と捉え、糾弾するのが新聞輿論のようです。一部の学者や識者層も、その立場で動こうとしているようです。しかし、客観的に見れば、この主張は全く的外れであることは明瞭で、間違いの根本は「現在の」日本学術会議に対して広がっている幻想、あるいは故意の曲解にあります。 日本学術会議はもともとは、戦後、総理府の管轄で発足しましたが、戦後という状況下で総理府の管轄力は弱く、七期も連続して務めたF氏を中心に、ある政党に完全に支配された状態が続きました。特に、1956年に日本学士院を分離して、文部省に鞍替えさせた後
今回はロッキング・オン1990年1月号における The Wonder Stuff のマイルス・ハントへのインタビューを取り上げたい。インタビュアーはもちろん児島由紀子である。 この号の表紙はストーン・ローゼズなのだが(初来日特集)、ワンダー・スタッフは、80年代後半でローゼズ以前に登場したバンドの中では最も優れたバンドの一つで、このインタビューは『Hup!』発表直後のものだが、当時既にライブの評価が非常に高かった。 Hup アーティスト: Wonder Stuff出版社/メーカー: Polygram Records発売日: 1989/10/03メディア: CD クリック: 1回この商品を含むブログ (5件) を見る フロントマンのマイルス・ハントがまたひねくれ入った弁がたつ男で、かなりの有望株だったのだが、この後ベーシストが脱退したりして低迷期に入ってしまう。その後復活するものの、『Con
彼が登場した時、ロックのギターの歴史が変わると思った。 センチメンタリズムと常にワンセットでロックの主役に君臨してきたギター、そこにセンチメンタリズムとは遠い、全く新しいタイプのギタリストとして彼は突然現れた。それは鮮烈なデビューだった。 これから彼に続く若いギタリストが次々に現れ、ロックのギターの歴史は変わる、本当にそう思った。 それから四十年以上、結局彼はずっと1人のままだった。彼のようなギタリストは出てこなかった。それほど彼はオリジナルな存在なのだ。 何度も書いていることだが、彼のギターには独特の暴力性がある。怒りや絶望を根拠にする暴力性ではなく、無根拠な暴力性、まさにセンチメンタリズムなき暴力性だ。それが僕にとってのエディ・ヴァン・ヘイレンだった。誤解を招く言い方かもしれないが、その無根拠なところが痛快だった。かけがえのない才能が失われてしまった。悲しい。 ご冥福をお祈りします。
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