'89年10月。彼はいつものように「よし、行って来る。今日こそは勝って来る」そう言って家を出た。向かった先は三重県、鈴鹿サーキット。F-1世界選手権第15戦、日本グランプリへ出場する為である。が、彼と彼のチームは低迷していた。それも、F-1史上稀に見る低迷振りであった。開幕以来14戦全戦予備予選落ち。決勝レースはおろか、予選にすら只の一度も出走出来ずにいたのである。レース・ウイークの金曜日、午前5時30分のサーキット入り。そして、敗退した彼は午前中の間にレースへの出走資格を失う。パドックで彼はいつしか"朝5時半の男"と呼ばれるようになるが、ここまで続くと、周囲も同情の目さえ向けるようにさえなっていた。が、当の本人はいつでも「今日こそ"勝つ"」と妻に告げて家を出た。.....'89年、前人未到の"シリーズ16戦全戦予備予選落ち"の記録を作った鈴木亜久里はその僅か1年後、鈴鹿に伝説を作る事にな
昨年末、'02年のF-1シーズンをまとめた恒例のTV番組"F-1総集編"が放送された。その冒頭で、"中嶋悟〜鈴木亜久里〜片山右京〜中野信治〜高木虎之介と受け継がれた日本人F-1ドライバーの歴史が、今ひとりの若者、佐藤琢磨に辿り着き....."のようなコメントが流された。その時、もしも貴方が「そうだったなぁ」と感慨にふけったのなら、貴方はかなりのF-1/モーター・レーシング・ファンである。しかし、即座に「いや、日本人レギュラーならもうひとりいたじゃないか」と苦笑いしたのなら、貴方は相当な"オタク"と呼んで良いかも知れない。.....何を隠そう筆者もこの放送を見て、"決して間違ってはいないが、何か物足りないぞ"と思ったひとりなのである(ちなみに、放送では「日本人レギュラーF-1ドライバーはこれで全部」等とは一言も言っていないのでお間違い無きよう)。そして、これを聞いて筆者は無性に書きたくなった
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