2017年8月16日のブックマーク (2件)

  • 2017.8.14   つれづれの記⑥ - カメキチの目

    カメキチの目 【続き】 [学校①] ・広くない校庭をはさんで、小学校と中学校が向きあう。校庭は共同。小学生、中学生。ともに使う。 かわいい大きさの小学校は2階建。マッチ箱のような中学校は平屋建。もちろんどちらも木造。中学校は、7㎞先の街にある校の「分校」。 私のいたころは、辺鄙な村でも、いわゆる戦後のベビーブーム世代だったので1学年1学級で小学校はちゃんと6クラス、中学校も3クラスあった。 中学校は中学校らしく、音楽室を兼ねていたが理科教室もあった。技工室(大工道具や旋盤などがある)、(女生徒ばかりで入ったことないので覚えがないけれど)家庭室があった。 でも、あまりに児童数が減り、私の中学校卒業後しばらくして、小学校は複式学級となり、中学校は廃校で7㎞を自転車かバスかで校まで通うことになったらしい。 いまじゃ小学校も廃校となっている。が、校舎はどちらも昔のまま。遠い昔のまま。 いまは何

    2017.8.14   つれづれの記⑥ - カメキチの目
    btomotomo
    btomotomo 2017/08/16
    >彼への当てつけだった。まぐれに違いないだろうが(まぐれでも)、合格してしまった。  ── 〝恩人〟じゃないですか (#^.^#) 。
  • 詩人でしかない - 眠りの南

    詩人・中原中也 私にとって詩人といえば、 中原中也…… もう、この名前はね、 アイドルみたいに呼んでしまう。 詩が好きだし。もちろん。 生き様が詩人だし。 自由で、ほぼ詩のことしか考えてなかった人。周囲は大変。 生れてから死ぬまで、 ずーっと詩人でしかなかった人。 中也の友人で、恋敵でもあった、 評論家の小林秀雄が、ある文章の中で、 “生れ乍らの詩人”と、 中也のことを書いていた。 いいなあ、生れ乍らの詩人。 でも、いいなあで、なれるものでもない。 だいいち、生れ乍らなんだから、 生れてから努力したって仕方ないもの。 もう、何年も何年も、詩を書かなくたって、 ちゃんと息ができていた私なんかに、 何も言う資格はないのだ。 それでも書くけど。 あと、中也の詩集の、 全部のページの端を折るんだったら、 折らないのと同じなんだけど、折る。

    詩人でしかない - 眠りの南
    btomotomo
    btomotomo 2017/08/16
    >ほぼ詩のことしか考えてなかった人。生れてから死ぬまで、ずーっと詩人でしかなかった人。 ── それが詩、や詩人、でなくとも、人はそんなふうに生きてもいいんじゃないかなぁ。 それにしてもいい記事。