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ブックマーク / sskkyy81.blog4.fc2.com (6)

  • M-1グランプリの黒歴史 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    M-1グランプリ この大会でメジャーを駆け上がっていった芸人は数知れず、今やお笑い賞レースの最高峰と呼べるものまでになった。 島田紳助の提案から過去6回行われてきているこの大会も、インフラ設備が確立していない初年度からの数年は、手探り状態で運営が行われていた。特に初年度の2001年大会は、優勝した中川家以外、全員公開惨殺ショーとなったともいえる。 その処刑人は一人一点を与えられた、札幌・大阪・福岡の吉興業の劇場に集まった各100人の一般客であった。 トップバッターが中川家という事もあり、一般客の点も200点前後(300点満点)の無難な点で推移していた。 しかし、この空気をDonDokoDonが一変させる事となる。 山口のモノマネを駆使したネタで会場では笑いも起きたが、一般審査員の点が出た時、彼らは凍りつく事となった。 (札幌:47 大阪:18 福岡:29) 合計94点 特に低かった大阪

  • 「確率2分の1」が持つモチベーション ■80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    占い師に自分のオーラの色やら、前世を占ってもらうよりも、 確率は何より確実な自分の道筋を照らしてくれると、私は常々思っています。 例えば、人間寿命で死ねる確率は47分の1という。 わずか47人に一人しか老衰で死ぬことは出来ず、逆に交通事故事件など不慮の事態で死ぬ確率は、死亡理由の27分の1とこちらの方が俄然高くなってしまうのだ。寿命を全うして死ぬというのは思いのほか難しい。 聖夜はホワイトクリスマスなんてロマンチックな事を願い続けた事もあったが、 私が生まれてからの30年間、都内でホワイトクリスマスとなった事は一度も無いという事実がある。 その確率は、117分の1となっている(東京) 117年に一回起きるかどうか・・だから生きている内に一回あれば運がよかったと考えると、雪が降らなくともがっかりする事も無くなる。 どうしてもホワイトクリスマスにしたければ、札幌に行けば1.4分の1の高確率で

  • 氣志團 元ネタを検証 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    氣志團の元ネタを探ると、そこにはステキな80年代が見えてくる 死無愚流 呼麗苦衝音 +3 → ジャケット元ネタ BOOWYのロゴ <その他BOOWYネタ> ・ライブをGIGと言う ・「ハイウェイに乗る前に」をツアーのサブタイトルに Boy's Color (CCCD) → ジャケット元ネタ:  Blondie -妖女ブロンディ Too Fast To Live Too Young To Die → ジャケット元ネタ:ユニコーン -服部 ・中村福太郎さん(83歳 一般人) 未だに鳶職にて現場監督をこなしてるそうです。 → ジャケット元ネタ: BUCK-TICK -悪の華 <その他BUCK-TICK元ネタ> ・愛・愛・ONE MORE KISS( デリケトにキスして )→ BUCK-TICKーJUST ONE MORE KISS ・6 for Japanese Babies(雷電)→ BUCK

    budapest
    budapest 2007/02/19
  • カセットテープ哀歌(エレジー) - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    学生時代といえば、貧富の差が出ないように皆同じ制服で統一され平等化がはかられる。 それでも貧富の差というのは、学校内でもどうしても出てきてしまう。 私の時代だと真っ先に浮かぶのはやはりエアージョーダンだろうか。 私は母親がダイエー辺りで買ったであろう謎の中国製のスニーカーを履いていたが、 バスケ部などを中心に校則の抜け道ともいえるおしゃれなバッシュ(バスケットシューズ)を履いてくる者が多数いた。 しかし、惨めな気持ちなどなかった。何故なら私の方が圧倒的多勢で、エアージョーダンの方がマイノリティだったからだ。 そんな私でも死にたいほど惨めな気持ちになった思い出がある。 それはカセットーテープである。 「iPod」や携帯など、音楽が昔よりもかなり手軽に持ち歩ける時代になったが、昔はカセットテープが主流であった。 カセットテープといえばそのグレードに応じて 「ノーマル」 「ハイポジション(ハイポ

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    budapest 2007/02/14
  • 「非実力派宣言」にみる緻密な計算 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    以前東京ドーム公演を達成した日人アーティスト一覧(*1)を書いてその集客の難しさを述べたが、 その中でも異例とも言えたのが、「氣志團」ではないだろうか。 他のアーティーストと比べ唯一ミリオンヒットを持たずにドーム公演を行ったミュージシャンである。 何故、大ヒット曲のない彼らが東京ドームを満席に出来るほどの集客力を持つのか? そこには綾小路 翔の緻密な計算が隠されている。 通称KISSES(キッシーズ)と呼ばれる10代、20代の若い女の子を中心とした固定のファン層 これはバンドをやっていればある程度つく、固定のファンとも言える。 他と違うのはヤンキー文化を取り入れる事によって得る特定のファン層 そして80年代の音楽シーンをふんだんに詰め込みパロディにする事で得る30代以上のファン層(*2) 私もコンサートに行った事があるがファン層は見事にこの3つにきれいに分かれていた。 他のアーティストで

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    budapest 2006/10/04
  • あなたが私にくれたもの - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    1990年にリリースされたJITTERIN’JINN(ジッタリンジン)のプレゼント 彼氏に貰ったプレゼントをただひたすら挙げていくという斬新すぎる歌詞ながら、 曲のヒット以上に人々の記憶に今でも残ってる様に思います。 当時ガキだった私はシャガールやらユニオンジャックなんてわかるはずもなく、なんとなくの言葉の響きだけを楽しんでました。 もう大人になったのだから具体的にどんなものだったのかを知っておかないとと思い調べてみました。 全部で24個のプレゼントです。 あなたが私にくれたもの キリンがさかだちしたピアス あなたが私にくれたもの フラッグチェックのハンチング あなたが私にくれたもの ユニオンジャックのランニング ユニオンジャック=イギリスの国旗 あなたが私にくれたもの 丸いレンズのサングラス あなたが私にくれたもの オレンジ色のハイヒール あなたが私にくれたもの 白い真珠のネックレス あ

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    budapest 2006/07/27
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