文章のうまい人間はえてしてすかすかなもんだなと思う。まあ、いろいろな文章があってもいいし、資本主義にあっては、文章の価値とは、一義に売文だ、いろいろな形態であれ。それはそういうもんだというしかない。 で、ブログというのはそういう面もあり、そうでない面もある。ただそれだけのこと。 そうでない面では、糞の価値にもならない文章が書けるということ。ああ、自由だ。 文章には技術というものがあるのだろうと思うし、書いていれば、ああ、こういうのが技術かと得心するのがあるが、なぜかそういう文章技術は、いわゆる文章技術の本には書かれていない。その理由もなんとなく思うが略。 で。文章の敵は美学だと思う。なにかを完成させたり、名文というかそういうのを書きたいという思いだろう。あるいはそういう視点での評価だ。なぜそれがだめかというと、結局それは既存のロマンとかポエムとか、セカンドハンドな類型に堕するからだ。 文章