司馬遼太郎さんが逝って20年が過ぎた。12日が命日だった。 大阪発行朝刊に山野博史関西大法学部教授が連載している「司馬さん、みつけました。」に興味深い記述があった。 山野さんは司馬さんのあまり知られていない原稿を発掘するため、古い産経新聞をマイクロフィルムで閲覧していて「新発見が叶った」という。 その一つが昭和38年1月3日付朝刊の「英雄の嘆き-架空会見記」である。山岡荘八、武田泰淳、三島由紀夫というそうそうたる顔ぶれで、司馬さんは坂本竜馬と全学連のメンバーとの架空会見を書いている。 全学連との架空会見〈「わしは、な、諸君」と竜馬はいった。 「全学連もええし、六本木にたむろしちょる不良どもも、ええと思うちょる。若さというもんは、所在ないもんじゃ。しかし、おなじ始末におえぬエネルギーなら、もっと利口なことに向けられぬものか」(中略) 「全学連諸君」竜馬がいう。「お前(まん)らが、わしら維新で