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歴史と歴史学に関するbuhikunのブックマーク (4)

  • 独島(竹島)問題について「元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚書」に関する件 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    独島(竹島)問題についての個人的な見解としては、日側の1905年1月28日の閣議決定による領有主張の有効か否かに集約される問題だと思ってます*1ので、それ以前の史料についてはあまり興味ありません。 何度か太政官布告に言及したことはありますが、少なくとも日側の主張する「固有の領土」論*2は誤っているという指摘のためで、現時点における領有権の帰趨にかかわる話ではありません。 それでも日韓政府間では古文書合戦が続いていますので多少はその史料も見るんですが、正直言って古文書合戦では日側に不利な証拠ばかり出てくるのでやぶ蛇になってるなぁと感想です。 「元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚書」もそういう感想を抱いた史料です。 「元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚書」当時の情勢 これは、元禄9年(丙子の年)粛宗22年西暦1696年における領土交渉の一部で「竹島一件」として知られている事件の史料の一部です。

    独島(竹島)問題について「元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚書」に関する件 - 誰かの妄想・はてなブログ版
    buhikun
    buhikun 2015/10/13
    島根県の竹島問題への対応は、地元島根大学の内藤名誉教授が「固有の領土説」に疑義を挟んでいた http://goo.gl/jqJzVm ところ、拓大にすがったのであり、最悪手であったと思われる(苦笑)
  • 竹田恒泰著『現代語古事記』の「序にかえて」のなかに、20世紀を代表する歴史学者アーノルド・J・トイン... | レファレンス協同データベース

    竹田恒泰著『現代語古事記』の「序にかえて」のなかに、20世紀を代表する歴史学者アーノルド・J・トインビー(1889-1975)の遺した言葉として、 「12、13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」という一文があった。この言葉の出典が知りたい。 下記の資料及びデータベースを調査しましたが、「十二、十三歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」という文の出典は判明しませんでした。 なお、資料1、2にご照会の文と類似の文言をトインビーの発言として紹介していますので、参考までにご紹介します。 (【 】内は当館請求記号。データベースの最終アクセス日は2013年1月30日) 資料1 戸松慶議 著. 生存法則論 :日民族の世界観. 第1巻 (古事記篇). 綜合文化協会, 1959. 【170.8-To462s】 * 「はしがき」のpp.1-2.に、

    竹田恒泰著『現代語古事記』の「序にかえて」のなかに、20世紀を代表する歴史学者アーノルド・J・トイン... | レファレンス協同データベース
    buhikun
    buhikun 2014/05/04
    私のフォローしてる歴史学者氏曰く「トインビーを『20世紀を代表する歴史家』と言ってる時点で終了、お帰り下さい」だとか(苦笑)
  • 吉見義明教授の「質問」と、橋下徹市長の「逃亡」と - 法華狼の日記

    吉見義明教授の公開質問状が、下記ページでPDFファイルとして一般公開されていた。 アジア女性資料センター - 【橋下発言】吉見義明教授が公開質問状 吉見教授は6月4日の記者会見で、橋下氏の「ほかの国も『慰安婦』を利用していた」という発言について、「軍の施設として組織的に慰安所を作った国はほかになく、日の『慰安婦』制度は特殊だ」と指摘。また、橋下氏が昨年8月の記者会見で「吉見さんも強制連行の事実まではなかったと言っている」と述べたことについて、研究者としての名誉を傷つけるものであると抗議し、「居住の自由、外出の自由、廃業の自由、拒否する自由がなかった日軍『慰安婦』は、性奴隷制である」と指摘しました。 ◆吉見教授の質問状はこちら(PDF) ◆吉見教授の添付資料(慰安所制度の創設・運用に関する資料)はこちら(PDF) ひとつ指摘すると、ここで吉見教授が名誉を傷つけられたとしている要点は、昨年

    吉見義明教授の「質問」と、橋下徹市長の「逃亡」と - 法華狼の日記
    buhikun
    buhikun 2013/06/08
    後ろが突っつかないのをいいことに、狡い逃げ切りを決めているアレを「戦術行動」とかボケている方に、更に残念なお知らせ。テレビの中の人も「アレじゃ数字取れなくなった」そうなんで、今後は絡まれるよ(嘲
  • しろうとは歴史学をどう見るか - デマこい!

    中高生のころから歴史が苦手で、成績は低空飛行を続けていた。とにかく興味を持てなかった。最近になって、ようやくその理由が分かってきた。 中学・高校での歴史は「誰が」「何をしたか」を重視しすぎなのだ。 ある生物集団の生態を調べる場合、どの個体が群れのリーダーであるかはあまり重要ではない。むしろ分析対象となるのは環境と個体群との相互作用だ。ヒトの研究も、そうあるべきではないか。 だから私の場合、人類史や、それに関わる経済学的な視点を持ったことで、ようやく歴史に興味を持つことができた。生態学とは、生物と環境との経済を研究する学問だ。経済学的な視点を得たことで、ようやく歴史研究を科学の一端だと認識できるようになったのだ。 だから私は、どこの国のどの政治家が何をしたとか、何を言ったとか、あまり興味がない。その人がいなかったとしても、似たような誰かが似たようなことを発言していたのではないか……と思うから

    しろうとは歴史学をどう見るか - デマこい!
    buhikun
    buhikun 2012/09/02
    わかりやすい痛快な歴史は、大衆の渇望するもの(歴史小説の氾濫を見よ!)。しかし科学者たる歴史学者は、これに迎合せず学問の厳しさに耐えねばならない。
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