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歴史と農業に関するbuhikunのブックマーク (3)

  • 「江戸時代、農民は米を殆ど食べることができなかった」は事実か

    タイトル通り。少なくとも自分は子供時代、「慶安のお触書き」とともにそんな学習漫画を読んだものですが、果たしてそれは事実だろうか?という話です。 「農民人口が8-9割で、しかも鎖国して輸出ゼロなんだから、農民が米べないと最終的には腐っちゃうだけじゃん」という指摘は目からウロコでしょ(笑) もちろん一般的な年貢の重さや生活の苦しさとはまた別の話ではありますが。 @CnZBYF1ctAj1R23 @ut_ken @tyokorata @tyuusyo @mamesiba195 @wing_starbow @minoruno @manyu1490 @HB27624303 @tennteke

    「江戸時代、農民は米を殆ど食べることができなかった」は事実か
    buhikun
    buhikun 2017/04/22
    上州女「米が食べられないならひもかわうどんを食べればいいベオホホホホ」\(−_−;)オイオイ
  • ジャガイモに感謝して生きよう

    ジャガイモのお陰で、今の世界がある ジャガイモは、全人類の救世主だった 私はジャガイモが嫌いだが、ジャガイモに感謝している 豊かな国では栄養状態が改善された今でも、たとえばフィッシュアンドチップスだとか、フライドポテトだとか、ポテトチップスだとか、肉じゃがだとか、色々な場面でジャガイモはべられ続けている ジャガイモがなかったら、今頃地球はどうなっていたのだろう

    ジャガイモに感謝して生きよう
    buhikun
    buhikun 2015/07/28
    もしじゃがいもがこの地球になかったら、アイルランドは壊滅し、へるんさんが生まれることも日本に渡ることもなかったから、「耳なし芳一」もみんな知らずじまいだったはず。
  • 中日新聞:かっぱの恐怖、今も 約束破りキュウリ栽培30年:三重(CHUNICHI Web)

    トップ > 三重 > 11月23日の記事一覧 > 記事 【三重】 かっぱの恐怖、今も 約束破りキュウリ栽培30年 Tweet mixiチェック 2013年11月23日 「キュウリ作らず」の禁を解く際に建てられたカッパ碑=熊野市飛鳥町の大又川河岸で 水難をもたらすかっぱを近づけまいと、キュウリの栽培を三百年間禁止してきた熊野市飛鳥町小阪の平(だいら)集落が、栽培の禁を解いてから今年で三十年の節目を迎えた。キュウリの栽培を避ける住民は今もおり、かっぱの恐怖を払拭(ふっしょく)するには時間がかかりそうだ。 大又川のほとりにある高さ四十センチの石碑。「キュウリ作らず」の禁を解いた一九八三(昭和五十八)年、住民がおはらいをした場所だ。平集落は大又川が蛇行する内側にあり、稲作農家など十一世帯が暮らす。 市史によると、集落近くでは大雨の時、川に落ちて死ぬ人が多く、かっぱの仕業と恐れられた。ある時、牛を

    中日新聞:かっぱの恐怖、今も 約束破りキュウリ栽培30年:三重(CHUNICHI Web)
    buhikun
    buhikun 2013/11/24
    かっぱが恐れられてるのは「尻こ玉」を抜くからだと考えている自分には、女性がかっぱを恐れることが理解できない\(-_-;)オイオイ
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