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歴史とJR西日本に関するbuhikunのブックマーク (2)

  • “なにわの大動脈”回り続けて半世紀 JR大阪環状線開業50年+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    大阪市中心部を周回するJR大阪環状線が今年4月、開業50周年を迎える。高度経済成長期とともにひた走り、バブル経済や「失われた10年」も見つめ続けてきた“なにわの大動脈”は、通勤や通学のほか、大阪城や通天閣などへの観光にも欠かせない路線として、毎日大勢の乗客を運び続ける。開業当時を知る旧国鉄マンは、万感の思いで歴史を見つめている。(内海俊彦)前身となる「大阪鉄道」の大阪-京橋-天王寺間が開通したのは明治28年。31年には大阪-西九条-安治川口を結ぶ「西成鉄道」が開業し、その後国有化され、それぞれ国鉄城東線、西成線と名付けられた。 戦後になり、大阪市西部、南部の人口増に伴って新しい路線を求める声が高まり、昭和31年には西九条-大正間を結ぶ工事がスタート。貨物線だった大正-今宮間や、関西線の今宮-天王寺間と合わせて36年4月25日、大阪環状線として開業した。 経済白書が「もはや戦後ではない」とう

    buhikun
    buhikun 2011/02/19
    大阪環状線の“のの字運転”に触れているが、全線開通前の山手線もそうだった(中野→御茶ノ水→東京→品川→池袋→上野)。
  • asahi.com(朝日新聞社):余部鉄橋、あすへの架け橋 一部は保存「空の駅」に - 社会

    間もなく解体される余部鉄橋(手前)。並行して新しい橋がほぼ完成している=兵庫県香美町香住区、伊藤写す      開通から98年間、その美しさで多くの人に愛されてきた兵庫県香美町のJR山陰線・余部(あまるべ)鉄橋が、架け替えのため16日の運行を最後に撤去される。一部は残されて「空中散歩」のスポットに生まれ変わり、解体された鋼材は研究に役立てられる。  冬場は松葉ガニの観光客らでにぎわう香美町の北端。山と山にはさまれた小さな集落をまたぐように、鉄骨の組み合わせでできた朱色の鉄橋が延びている。100年前の技術では2キロ以上の長いトンネルを掘れず、山の中腹同士を結ぶこの形になったとされる。  コンクリート製の橋への架け替え工事は、2007年3月に始まった。しかし、鉄橋は日の鉄道史を刻む建造物。学識者や地元自治体、住民らでつくる「余部鉄橋利活用検討会」は、一部を保存するよう兵庫県知事に提言していた

    buhikun
    buhikun 2010/07/14
    もう行けない、訪ねて行けない、ひたむきなあなたを探しそうhttp://www.youtube.com/watch?v=YOclmfUx6dE&feature=related /初めて渡ったのはお盆明けの暑い日だったが、「夢千代日記」のロケやっとった。
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