砂川事件の第一審判決(伊達判決)を破棄して地裁に差戻した最高裁判決が出たのは1959年12月16日であった。この判決に関連して、先日(4月8日)、当時の最高裁長官・田中耕太郎氏が判決前に駐日米公使ウィリアム・レンハート公使らと密談し、「判決はおそらく12月」「判決を急ぐため争点を法的問題に閉じ込める」「判決は世論を揺さぶる原因になる少数意見を回避できるよう願っている」などと述べていたことが米公文書で明らかになったと報じられた。朝日新聞によると、この公文書は「1959年8月3日、11月5日、12月17日付の計3通。日米安保条約の改定を控え、両国政府が反対世論の動向を注視していた時期で、すべて駐日米大使のダグラス・マッカーサー2世が、本国の国務長官へ宛てた公電だった。」という。8月3日付の公電は、「上告審の公判日程が決まる3日前の7月31日に、田中長官が当時の米首席公使と「共通の友人宅」でかわ