「自分」という一本道 チェコさんのこれ読みまして。only3months.hatenablog.com 人生が大きな一本道だとして、自分の中央道ををぐんぐん進んでいっていると、都度、人生の分岐点が高速のインターチェンジみたいな感じでやってきます。最終ゴールはなんとなく見えてる(北か南か、くらい)ので「こっちかな」と思ってウィンカーを出し乗り換えて行くわけですけど、自分一人だけで生きている範囲で選べる乗り換えルートって、すごく限られてしまう。 わたしはわたし自身で見つけて書き込んできた地図しか持っていないけれど、そうではない他者と出会い、地図を見せてもらうことで、思いつかなかった行き方があったり、知らなかった道を発見できたりする。行ってみた先が楽しいところなのかそうでもないのかは行ってみないと分からないけど、「選べた」ことに意味があり、失敗も含めて価値がある、と思っています。 じゃあなんで「