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批評に関するby740のブックマーク (5)

  • パッション : 映画評論・批評 - 映画.com

    2013年10月1日更新 2013年10月4日よりTOHOシネマズみゆき座ほかにてロードショー デ・パルマ好きなら楽しめる「愚直な悪夢」ブライアン・デ・パルマは、もしかしたらあまり頭がよくないのではないだろうか。 あるとき私は、失礼ながらそんな疑念を抱いたことがある。話は緻密さに欠けるし、恐るべき真実や辛辣な知恵を感じさせることも少ない。 にもかかわらず、若いころの私は、彼の映画が大好きだった。悪夢が現実を侵犯していく瞬間の怪力が、なんともスリリングだったからだ。「ファントム・オブ・パラダイス」も「キャリー」も「愛のメモリー」も。 「パッション」は、そんな思い出を誘発する映画だ。見ている間、私は数回、馬鹿じゃないのか、とつぶやきそうになった。ベルリンの広告代理店を舞台に、強欲で陰険でケバい女たちが悪だくみの限りを尽くして共いをはじめるのだから、なにが起こってもべつに不思議ではない。 ケバ

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  • 『<狐>が選んだ入門書』 山村修 (ちくま新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 丸谷才一はすぐれた入門書は「偉い学者の書いた薄い」、読む価値がないのは「偉くない学者の書いた厚い」だと書いた。これは至言であるが、「偉い学者の書いた薄い」の例としてあげられているのは荻生徂徠の『経子史要覧』とコーンフォードの『ソクラテス以前以後』だけだった。漢学と哲学についてはこの二著で間違いないが、それ以外の分野はどうなのか。数ある入門書の中から「偉い学者の書いた薄い」を選び出したがないものか。 かねがねそう思っていたところ、匿名書評家<狐>こと山村修が書を書いてくれた。日語、文学、歴史、思想史、美術史という五つの分野について、夫々五冊の「偉い学者の書いた薄い」を推薦し、詳しい紹介をつけてくれた。最近のもあるが、多くは山村が何十年も手元におき、折にふれて読みかえしてきただけに、紹介は実にゆきとどいていて、すべてのを読みたくなった。「偉い学者」だ

    『<狐>が選んだ入門書』 山村修 (ちくま新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 藤田直哉『虚構内存在』を読む前に、気楽に予習したい人のための7冊 | 本が好き!Bookニュース

    今回は、SFを中心に多様なサブカルチャー全般を対象領域として評論活動を行なっている藤田直哉さんにご登場いただきます。藤田さんは、この2013年1月下旬に、初の単著となる『虚構内存在 筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』という書籍を刊行されます。このは、日のSFを語る上での最重要人物である筒井康隆を論じながら、現代の人間にとって無視することのできない、虚構内の存在とどのように生きていくことができるのか、という問いの可能性を探るというもの。 筒井康隆も藤田さんも、どちらもユーモアを愛する人物ですが、またどちらも真面目な論考めいた文章も書く人です。今回は、著者ご自身に書籍のエッセンスを概説してもらいながら、同時に「気楽に予習として読める7冊」を選んでいただきました。 ・予習のを辿る列を飛び出して 初めまして。藤田直哉と申します。SFやその周辺のサブカルチャーについて評論を書かせていただいてい

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  • 蓮實重彦『物語批判序説』(迷宮旅行社)

    蓮實重彦『物語批判序説』 ブルックナー交響曲第9番 index 批評コンビニ幕の内(8) 蓮實重彦『物語批判序説』(第1部) 蓮實重彦『物語批判序説』(第1部)は、読み終えてみれば、フローベールの『紋切型辞典』をめぐる評論という形をとっている。しかしその始まりは、こうだ。 《それを博学と呼ぶには彼の知識はあまりに貧弱であったし、ましてや言語学的な卓見を誇りうるほど事情に通じていたわけでもないのに、一人の男が、あるとき、不意に辞書の編纂という途方もない計画を思いたち、知人や親しい仲間たちに向って、その構想をぽつりぽつりと洩らしはじめる。そんな身のほど知らずの着想を無理にも思いとどまらせる友人がひとりもいなかったところをみると、誰も、その完成を気で信じてなどいなかったのだろう。事実、辞典編纂の知識も経験もないこの無謀な男は、その構想を実現させる以前に死ななければならなかった。彼の死は、いまか

  • 昭和的「クラシック音楽の教養」を埋葬する

    ドイツのクラシックの名歌手ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(DFD)氏の訃報に続いて、日での声楽界の重鎮であった畑中良輔氏の訃報、更には評論家の吉田秀和氏の訃報にまで接するとは思いませんでした。 思えば1970年代から80年代にかけて、DFD氏は何度も日にやってきてシューベルトの『冬の旅』に代表されるドイツ歌曲を紹介し、声楽の専門家であった畑中氏がそれを批評し、文学的な表現を加えた吉田氏が加えた評論は更に幅広く読まれるという時代があったわけです。そうした時代は、この3人の訃報によって遠い過去となりました。 DFD氏について言えば、氏の歌唱は理知的に過ぎて冷たいなどと言う人もいますが、例えば『冬の旅』のように絶望的にレベルの低い歌詞と、絶望的にレベルの高い作曲に断裂した楽曲の場合、あそこまで表現の幅を広げていってフィクション性を高め、純粋なアートにしてしまうという行き方は「あり」

    by740
    by740 2012/05/30
    "「小さな伝説」の知識を積み重ねることが、音楽を聞いたことになるのです。"
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