2019年10月30日のブックマーク (2件)

  • 宇崎ちゃん献血ポスターはなぜ「失敗」なのか(前 - tikani_nemuru_M’s blog

    「宇崎ちゃんは遊びたい」献血ポスターは表現の自由の観点から論じられるべきではない。公共広告として成功なのか失敗なのかの観点で考えられるべきである。そして、この観点からはこのポスターは完全に失敗である。 以下に、なぜこの問題が表現の自由の観点から論じられるべきではないのかを今回、なぜ公共広告として失敗なのかを次回に述べる。 1 ・『宇崎ちゃんは遊びたい!』献血ポスター問題を考える リンク先は丁寧な論考であり、ブクマも多く、おおむね好意的に評価されているようである。僕も全体的な論旨に賛成する。良い論考であるので、紙屋の助けを借りながらすすめよう。 「公の場の表現だからいけない」という意見について。 市民の批判を受けて、大勢の人がよく見るような表現(駅のポスターなど)を撤去することはある。しかし、それはあくまで作家や民間団体の自主的な判断に過ぎない。作家や民間団体は表現の自由を行使して、表現を公

    宇崎ちゃん献血ポスターはなぜ「失敗」なのか(前 - tikani_nemuru_M’s blog
    c71
    c71 2019/10/30
  • 普通の男がいないのに普通の男はモテないという話 - いつか朝日が昇るまで

    「普通の男がいない」というnoteが燃えてしまったようで、このあたりの戦いがさかんに行われるのが婚活市場です。その戦いの様子や「普通の男」という言い方については、みどりの小野 (id:yutoma233)さんが、大変上手にまとめてくれています。 「好きになれる相手がいない」ってのは男女問わず不変の悩みだと思うので、冒頭の記事も『恋する以前に普通の男がいない』ではなく、『恋する以前に好みの男がいない』だったらこんなに燃えなかったんだろうなぁと思います。 『恋する以前に普通の男がいない』という話と恋愛の凶暴性 - おのにち 普通という言葉は大変都合よく使われる言葉なんですよね。今回の場合は「普通」と言うのがいい意味で使われているわけですが、一般的には小野さんが言うように普通は特徴がない、好みがないという意味で使われます。 これは私もnoteで書きましたけど、いい人という言葉と同じです。「いい人

    普通の男がいないのに普通の男はモテないという話 - いつか朝日が昇るまで
    c71
    c71 2019/10/30
    普通を脱却するためにあがく、ってところに驚愕してしまいました。 そーなの????普通になりたくて頑張ってるんじゃないの…?