浅羽通明『野望としての教養』(時事通信社) 稲葉振一郎 『論座』2000年11月号 浅羽氏の前著『大学で何を学ぶか』(幻冬舎)は、大学生及びその予備軍のための真摯なノウハウ本にして、政策論にも資するところ大の卓抜な大学論として、既にその評価が確立しており、もちろん筆者も多大な教示を得た。その続編ともいうべき本書は大学での「社会史」なるタイトルの下での講義を基にしており、同一のテーマがより歴史的な展望の下で展開されている。 さて、浅羽氏の指摘を待つまでもなく、現代日本の(ことに人文社会科学系の)大学教育は大いなる虚妄の上に成り立っている。大学インサイダーの視点から、やや勝手にまとめさせてもらおう。 90年代前半には多くの大学で教養教育がリストラされ、専門教育重視のカリキュラムへの移行が行われた。しかしこの「改革」によって「一般教養」というお荷物を切り捨てた大学が、専門化した学術研究・教育機関