〘 名詞 〙 進んで何事かをしようという気持。意欲。「やるきがない」[初出の実例]「いっせつからだもやる気(キ)になったわいな」(出典:歌謡・改正哇袖鏡(1859)富士や浅間の)
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[字音] ショウ(シャウ) [字訓] さかずき [説文解字] [字形] 形声 声符は(しよう)。〔説文〕四下に「實てるを觴と曰ひ、なるを(し)と曰ふ」(段注本)とするが、ともに酒器の名である。觴はもと獣角を以て作った。のち漆器のものが用いられ、両耳を羽のような形にしたものを羽觴という。長江の流れもその源は羽觴をうかべるほどの小流であるので、ことの起源を濫觴という。曲水の行われた河南登封城北の泛觴亭は、亭上に羽觴を泛べる曲水がゆるやかにめぐらされていた。 [訓義] 1. さかずき。 2. さかずきをさす、さかもりする。 [古辞書の訓] 〔名義抄〕觴 サカヅキ 〔立〕觴 サカヅキ・ツノカメ [熟語] 觴飲▶・觴詠▶・觴▶・觴客▶・觴酌▶・觴勺▶・觴酒▶・觴政▶・觴典▶・觴豆▶・觴杯▶・觴令▶ [下接語] 一觴・引觴・羽觴・嘉觴・觴・銜觴・挙觴・玉觴・空觴・献觴・壺觴・交觴・行觴・肴觴・賜觴・酌
〘 名詞 〙 ( 「ねこや」とも )① 戦国時代、山城のふもと周辺に置かれた城兵の集落。主として関東での称。[初出の実例]「其次日は、頼茂居館の小城へをしよせ、ねこやまで焼候へ共」(出典:甲陽軍鑑(17C初)品二三)② 江戸時代、樹木の根を買い、これを看板あるいは床の間に用いる板などに挽(ひ)いて売ったもの。〔随筆・守貞漫稿(1837‐53)〕 中世後期山城(やまじろ)の麓にあった城主の館やその周辺の屋敷地。おもに東国で用いられた語で,後に集落の地名となって根古屋,猫屋などと書かれることもある。城主が平時は麓に居住し,戦時に山城に詰めるという形は中世後期に全国的に共通していたので,根小屋の用語の使われなかった地方も含め,このようなタイプの城郭を根小屋式と形容することがある。 執筆者:村田 修三 半農半士的な性格を有する地方豪族により造営された居館集落の場合は,丘陵や台地の上に城館を築造し,
ユーゴスラビア(現セルビア)の政治家。セルビア北東部の町ポジャレバッツで、セルビア正教会司祭の子として生まれる。両親が離婚し、母親のもとで育つ。1959年に共産主義者同盟に入党。1964年にベオグラード大学法学部を卒業後、テクノクラート(高級技術官僚)として頭角を現し、企業長やベオグラード銀行の頭取を務めた。チトーが死去した翌年の1981年、コソボ自治州で経済的不満を背景に、人口の80%を占めるアルバニア人の権利拡大を求める暴動が生じた。この事件以後、コソボの「少数者」セルビア人の権利を保障できないというセルビア人の民族的な不満が強まった。ミロシェビッチは、セルビア人のこうした不満を利用しつつ、1984年にセルビア共産主義者同盟ベオグラード市委員会議長、1986年にセルビア共産主義者同盟議長、1987年にはセルビア共和国幹部会議長に就任した。1990年の複数政党制による初の自由選挙では社会
[二] (浦嶋太郎) 御伽草子二三編の一つ。作者未詳。室町時代末の成立とされる。上代以来の浦島伝説によったものだが、古来の神仙譚ではなく、亀の報恩譚、浦島明神の本地譚として中世的変貌をとげる。→浦島。 [語誌](1)(一)は「うらしまのこ」の室町期以降の呼び方。桃太郎・金太郎などと同じく、個人名としての太郎が定着するのはその頃からである。 (2)(二)は、室町期の絵巻物・草子などに「浦島太郎」「うらしま」など、ほとんど同じ内容の類似の作品が多い。浦島物語の原型は、一介の漁師と亀の姿をした神との結婚の物語で、漁師が神の国での幸せな生活の中で、神から課せられていたタブーを破ることによって別離に追い込まれる、というものであったか。室町時代の物語では命を助けてもらった亀の恩返しの話が付け加わり、江戸時代になると亀と女がまったくの別ものになり、近代になって童話化して神婚の要素が消えて、単に異郷訪問の
〘 名詞 〙 仏語。① 人の寿命には一定の年限があることをいう。住劫においては、ほぼ八万歳を最長とし一〇歳を最短とする。じょうめい。[初出の実例]「それ人げんのありさま、ぢゃうみゃうむそぢと侍るに、ことしもすぎ侍りぬ」(出典:身のかたみ(室町中頃))「夫(それ)人間の寿命をかぞふれば、いまのときの定命は五十六歳なり」(出典:蓮如御文章(1461‐98)四)② 過去、現在の業で定まる寿命の意。[初出の実例]「我は行年六十三 定命(チャウメウ)さし引なしに 浮世の帳面さらりと消て」(出典:浮世草子・日本永代蔵(1688)三)
説経浄瑠璃(じょうるり)の曲名。作者、初演は不詳。正徳(しょうとく)(1711~16)末か享保(きょうほう)(1716~36)初めごろに出た佐渡七太夫豊孝の正本には『をくりの判官』とある。京都・三条高倉の大納言(だいなごん)兼家の嫡子小栗判官は、洛北(らくほく)菩薩(みぞろ)池の大蛇の化身と契ったが、罪を得て常陸(ひたち)(茨城県)に流される。やがて美女の照手姫(てるてひめ)と結婚するが、姫の一族に毒殺されてしまう。死んだ小栗は閻魔(えんま)大王の命令で、善人のゆえに娑婆(しゃば)へ帰され、餓鬼阿弥(がきあみ)と名づけられた。藤沢の上人の配慮で餓鬼阿弥は車に引かれて熊野本宮へ行き、そこで三七日の御湯に浸され、めでたく元の体に戻る。一方、照手姫は海に沈められるところを救われ、人買いの手に渡されて各地を転々とし、重労働に苦しめられるが、知らずに餓鬼阿弥の車を運び、のち小栗と再会して都へ行くとい
鮫(さめ)の歯の化石の俗称。[初出の実例]「俗に天狗(テング)の爪石(ツメイシ)といふ物形爪のごとく長さ壱弐寸」(出典:雲根志(1773‐1801)後三) 漸新世から現世にかけて生息しているホオジロザメ属などのサメの歯の化石。とくに漸新世から鮮新世にかけての地層から出るカルカロドン・メガロドンCarcharodon megalodonが有名である。ホオジロザメ属(カルカロドン)は軟骨魚綱板鰓(ばんさい)亜綱ネズミザメ科の1属である。大きな正三角形に近い形の歯をもち,最も獰猛(どうもう)なサメとされている。カルカロドン・メガロドンは巨大なサメで少なくとも全長15mはあったと考えられている。現生種のホオジロザメは世界の暖海に生息し,全長8m程度に達する。ホオジロザメ属は現生のものは1種であるが,化石としては中新世~鮮新世にかけてカルカロドン・スルキデンスC.sulcidens,カルカロドン・ア
1960年代に進められた稲・小麦などの多収量品種の開発と、その導入によってもたらされた開発途上国における農業技術の革新。 この言葉は1968年3月,アメリカの国際開発局長であったウィリアム・S.ガウドが,国際開発協会(第二世銀)で行った講演で初めて使ったといわれる。その後レスター・R.ブラウンがレポートで用いてから,急速に世界中に広まった。また同一内容のことを〈種子・肥料革命seed-fertilizer revolution〉と呼ぶ人々もいる。しかしこの緑の革命の定義は,必ずしも定まったものではない。穀類の多収品種の栽培を灌漑,肥料,農薬,農業機械などの技術革新と並行してすすめ,伝統的農法から脱却して食糧増産をはかり,発展途上地域を中心とした人口増加に対処しようとするもので,育種から社会経済にいたる広い内容をもつ。言葉の内容自体も経験や研究がすすむにつれて広く深くなっている。 緑の革命の
① 料理の一。たたいてざっとゆでた小鳥と鯛たいの肉を、薄くむいて袋のようにした鮑あわびに包み込むようにして煮たもの。 《野衾》
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