![【川崎と在日】戦後の残照、川崎市幸区「戸手4丁目12番地」多摩川河川敷不法占拠バラック村を見る(2014年) - 東京DEEP案内](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/92a7ac9c91478de9e0d088f1a09ac1c112630a1f/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fi0.wp.com%2Ftokyodeep.info%2Fwp-content%2Fuploads%2F2024%2F03%2Fda7d00db6cdf6ed930cb289e94e90dcc.jpg%3Ffit%3D1280%252C853%26ssl%3D1)
東京23区の最南端にある大田区六郷地区。都心からも相当離れており、地理的にも新宿や東京駅に出るよりもむしろ横浜の方が近いのだが、すぐ近くに工業都市である川崎がひかえており、街の雰囲気はやっぱりブルーカラーなのでした。 京浜急行に乗って京急川崎駅の一つ手前「六郷土手駅」で降りる。駅名に土手が付いているなんて萌え萌えなのだが、駅ホームの一部が本当に多摩川の土手に張り出していたり、まさに23区の最果てを象徴するかのような場所である。 高架駅の周辺は住宅密集地になっていて、時折京浜急行の快特電車が豪速で走り抜けていく度に大きな音を立てる。京急の快特は最高時速120キロ運転で品川~横浜間を爆走する、鉄道マニア垂涎の電車なのである。しかし快特が通過する六郷土手駅を降りるとそこは凄まじくスローリーな空間。 六郷土手駅は東京都23区内ではあるが文化圏で言うと完全に川崎エリアに入る。川崎と言えば工業都市であ
巨大ターミナル・新宿の繁華街からも歩いて行ける目と鼻の先の場所に、激しい地上げ攻撃に晒された末に荒れ放題になった土地が残されていた。その中でもとりわけ有名なのが、都営新宿線新宿三丁目駅と曙橋駅のちょうど中間地点にある「新宿区富久町」。 バブル期から続いた地上げ係争地が30年ごしの泥沼の争いの末、一部ではゴーストタウンと揶揄されバブル経済によって破壊された街…その跡地に55階建ての超高層タワーマンションが今まさに建設中である。ここが現在どうなっているのか、様子を見に行った。場所は靖国通り沿い、外苑西通りがぶつかるT字路「富久町西交差点」の先。 「Tomihisa Cross」と名付けられたこのタワマンなんですが、55階建てというのは山手線の内側では最高層で、既に本体は55階部分まで出来上がっていて、野村・三井・積水・阪急だのデベロッパー合計4社が販売に携わっている。総販売戸数992戸は強気の
まだまだ品川区旗の台界隈の街並みレポートは続く。商店街や路地裏ボロアパートのハイグレードさに笑いが止まらない訳だが、旗の台にはまだ見て回らねばならない物件がある。 それが旗の台駅南側、ふれあいロードの先にある品川区立旗台小学校に隣接する土地だ。商店街を過ぎるとすぐさま住宅地となり、緩やかな上り坂がある。 旗台小学校の敷地に差し掛かり、学校に沿って左折すると再び街路は下り坂となる。傍から見てもごく普通の街並みにしか思えない訳だが、学校の校庭と向き合う一部分だけが窪地となっており、その一部分だけに狭小住宅群が不自然に密集している場所がある。 窪地の底にあたる場所に並ぶ住宅群、これが今回の目的地だ。途中まではそこそこ立派な一軒家ばかりだったのがこの区画に来ると急に小さなボロ家屋だらけとなる。 古びた木目調のサイディングが施された民家は既に人の気配がないらしく廃墟同然の佇まいを見せていた。そこには
2016年3月26日、華々しく開業したはずの北海道新幹線は俄に注目を集めてはいるが、運賃の高さと東京からの所要時間の問題、新駅と函館市街地との接続の悪さといった諸々の問題アリで出だしは微妙だったとか何とか聞きますが、とうとう北海道から南九州まで日本の端と端を新幹線網が縦断する時代に突入した訳でなかなか感慨深いものを感じさせる。だがその一方で同日、地味にもこちら首都圏にも新駅が開業したという話題を聞いた。 それが「JR南武線小田栄駅」である。所在地は川崎市川崎区…去年、中1殺害事件で世間を騒がせた「川崎国」と揶揄される京浜工業地帯におけるハードボイルドなバイオレンスタウン、そのど真ん中に新駅が開業してしまったのである。しかし実際来てみるとなんとも簡素な無人駅で自動改札すらなく代わりに簡易式ICリーダーが置かれているのみである。 新駅が出来たのは同じ南武線でも「浜川崎支線」の方でした バイオレ
埼玉県東部を代表する街、春日部市。東武伊勢崎線(意地でも東武スカイツリーラインとは言わない)で北千住から急行電車で片道約30分、大宮から東武野田線(意地でも東武アーバンパークラインとは言わない)で片道20分で来られるが、首都圏のベッドタウンとしては些か距離が遠く駅周辺の発展ぶりは今一つ。 春日部は日光街道の宿場町「粕壁宿」があった歴史の深い街で、「クレヨンしんちゃん」の地元だという事でアニメ聖地化に躍起な埼玉県の自治体らしく観光誘致にノリノリのようだが、あんまり肝心の観光客がわざわざ来るような雰囲気でもない。相変わらずパッとしない駅前風景と街の中心をぶった切る平面駅舎が鎮座し、北関東の地方都市のような佇まいだ。 そんな春日部の中心市街地にそびえる「西武春日部店」がなんと今年2月末で営業を終了する事となった。春日部市民のお買い物の中心でもあり旧「ロビンソン百貨店」の時代から親しまれ、「クレヨ
日本最大の歓楽街とされる新宿・歌舞伎町。戦後の焼け野原の頃から大衆娯楽の一大拠点としての開発が進められ、一時期は無法地帯とも言える程となり近づくのも憚られるような街だった頃もあったが、すぐそばの都庁が目を光らせる中で浄化作戦が繰り返され、色々とゴタゴタはあったが今では外国人観光客が大勢闊歩するような、表向きには安全な街へと脱皮している。 去年2015年の一年間の外国人訪問者数は1900万人を突破したと報道されている。前年2014年と比べても600万人増で、政府が2020年の東京五輪までの目標にしていた「年間2000万人」は余裕で到達する見込みとなっている。今、新宿・歌舞伎町を歩く雑踏の大多数が外国人観光客である。靖国通り沿いから見える歌舞伎町の眩いばかりのネオンサインは、外国人観光客が夢中でカメラのシャッターを切る格好の被写体となっている。 外国人観光客の急増に伴い、歌舞伎町はそれまでのダ
自治体まるごと都道府県の飛び地という和歌山県北山村を代表例に、それは全国各地に点在しているわけだが、この東京23区にも、周りを埼玉県に取り囲まれた東京都の飛び地というものが実在している。 それが埼玉県新座市片山三丁目16に存在する「東京都練馬区西大泉町」なのだが、わざわざその飛び地を見るためだけに西武池袋線大泉学園駅からバスに乗り継いで、やってきましたよ。 東京23区でもっとも農地面積が広い練馬区。埼玉県境に近い大泉までやってくると至る所に広大な農地が見える。下手すると八王子よりも田舎臭い場所があるが、それも練馬の魅力の一つであろう。 この界隈は都県境が複雑で、あちこち住宅地と化した地区一帯に昔の基準で設けられた都県境がそのまま使われている為、隣の家で東京と埼玉が分かれていたり、家のど真ん中で東京と埼玉が分かれていたりするなど、かなりややこしい事になっている。 都県境が入り組んだ特殊事情も
市川市の行徳地区は昭和44(1969)年に地下鉄東西線が出来てから急激に宅地化が進んだエリアで、元からある集落を除けばその大部分がニュータウン的な街である。妙典駅から南東1キロの場所に「行徳富士」と呼ばれている山がある。湾岸地域であるにも関わらず標高37メートルあるらしく、一説によると市川市の海抜最高地点だというのだ。 行徳住民はこの山の存在をよく知っているだろうが、その事実に目を背けようとする。なぜならその山は長年に渡り残土運搬業者が運んだ土砂で築かれたもので、しかも周囲一帯が産廃処理場になっているからだ。京葉線の車窓からもその異様な風貌の山の存在を視認する事が出来るが、実際にこの場所に足を運んだ事がなかった。 という訳でわざわざクルマを調達して現地を訪問してみたのだ。湾岸道路を市川大橋方面に突っ走れば橋の手前左側に「行徳富士」の姿が拝めるだろう。高浜交差点から左折、その先を右折すると産
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