「」に関するcampyのブックマーク (105)

  • MRIC: 臨時 vol 4 「各国の非言語情報から見る呼吸器外しの理念」

    MRIC Medical Research Information Center の記事を MRIC の許可を頂き掲載させていただいております。 MRICメールマガジン配信希望の方は touroku@mricj.com あてにメールで依頼してください。 また、記事をひとつひとつ見たい方は右の「アーカイブ」をクリックしてみてください。 昨年10月7日、「呼吸器外しの意思尊重を 倫理委が異例の提言」というニュースが流れた(1)。内容は、亀田総合病院の倫理委員会が、全身の筋肉が動かなくなる難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の男性患者が提出した「病状が進行して意思疎通ができなくなった時は人工呼吸器を外してほしい」という要望書について、意思を尊重するよう病院長に提言していた、倫理委員会が判断を示したのは異例、というものであり、NHKでは何と患者さんの氏名も報道されている(2)。氏名を公表して

    campy
    campy 2009/02/04
    アメリカ"家族が呼吸器を外さないという選択をしようとした場合、合理性がないとみなされ"/日本"重荷からある程度患者が解放されており、相互依存の家族意識が終末期の患者に安心感を与えていると考えられる。"
  • ポスドク問題について思う2 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @Los Angeles, CA (これは昨日の呟き編の続きです。ごはんを楽しくべていたら書くのを忘れてしまってました、、、。昨日のを読まれていない人は、まずそちらをご覧ください。) wackyhopeさん、いつもコメントありがとうございます。 ふーん、へぇーーーでした。学位を取ろうとする人の集団は、いくら何でも民間企業に働くことを最終目的にした人が主ではないと思うので、あのような検討をしたのですが、まあ要はアカデミアは無理でもやっぱり仕事に就けないということが問題ということで、supply(社会への供給量)とdemand(社会の需要)の問題ということは変わらない訳ですね。 (、、、昨日書いた通り、明らかにアカデミア側のキャパがたりない状況下で、「もし」ですが、自分のトンガリ、売りもないのに、非現実的にアカデミアの道のみを考える人ば

    ポスドク問題について思う2 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
    campy
    campy 2009/02/01
    "本来博士課程を増強するなら、修士課程をつぶすべきでした。"
  • Into your life, it will creep: ニコニコ動画のゆくすえってどうなんだろうねー。

    09/01/02 ニコニコ動画のゆくすえってどうなんだろうねー。 YouTubeでの高画質化がやっぱり非常に便利だなーと思いまして、たとえばアート系の動画や海外音楽誌が配信してる動画なんかは高画質で見ると全然違いましてですね。↑は一寸前の動画だからまだHDじゃないですけど、MoMAvideosチャンネルの最近の動画はもうHDに対応しております。ビビるね。  こうなっちゃうともう、画質の面で若干優位だったニコ動の立場っていうのもなくなって、もっとSNS的になってくんだろうなーと思う。でもニコ動のトップページ見てるとなんか駄目になってくポータルサイトの典型みたいな(根拠なし)ごちゃごちゃした画面で、mixiみたく自分のホームになるような、自分に必要な情報が寄り集まるみたいな感じでもなく、一所懸命「これもあるよこれもあるよ! ついでに言うとこれもできるよ!」って自己主張するだけで、あんまり新規

    campy
    campy 2009/01/22
    "ひろゆきがよく言うような経験の共有ってゆーかバーチャルな祭りの場みたいな話って面白いし共感できるんだけど、結構若い子ってちんまりつるむのが好きだよ。"
  • 50×顕在記憶から潜在記憶へ - takumau blog

    熱力学にエントロピーという概念がある。これは情報理論でも使われいて、似非科学的な解釈の中では情報量=エントロピーという解釈がある。例えば大前提としてコミュニケーションAとBとCはそれぞれ、人に与える情報量が異なっている。Aは物質的にまったく変わらないけど、そこに時間や空間や偶然性の概念を与えたら情報量が変わってしまうことがある。例えばAを何度も見せてたら情報量がむしろ減っていくが(飽きてしまう)。すごく希少性があるように見せれば情報量が大きくなる(びっくりする)。 ところでなぜこのような発想を私はしなければならないのか。人間には蓄積情報量の限界があるからだ。その上でコミュニケーションを考えるべき時代になっている。 コミュニケーションの未来を考える上でもうひとつ、捉えておきたいのは物理学で議論されてきた決定論だ。決定論とはあらゆる決定項は因果律に倣っているとする立場のこと。つまり結果には原因

    50×顕在記憶から潜在記憶へ - takumau blog
    campy
    campy 2009/01/16
    "どちらもコミュニケーションとして有効ではあるが、顕在記憶から潜在記憶への移行はゆるやかに推移していくだろう。"
  • 9×リスク社会 - takumau blog

    不二家は賞味期限の捏造をしていた。今もなお隠蔽を追求されているが、そのどれもが他国の貧民層から見れば資主義国家の贅沢に見て取れないこととも言える。これまでも雪印集団中毒事件、森永ヒ素ミルク事件とあったが、その犠牲者や被害規模は右肩下がりになっているのと反比例して、だんだんと人々のリスク意識が高まり続けているのではないか。 関西テレビ制作『あるある大辞典』は薬事法を完全に無視しつづけ、かつ誇大表現の乱用があからさまであったにも関わらず、これまで延命し続けた。しかしようやくそれも遅すぎるほどに捏造が発覚された。 「あるある大事典」の納豆ダイエットで捏造 関西テレビ 数字を捏造しただけで、実証性については確かであるとした開き直りである。『あるある〜』は一社提供のスポンサーである花王が降板を決めたことで、放映は打ち切りとなった。とはいえ今後も番組名や制作プロダクションを変えて捏造は繰り返される

    9×リスク社会 - takumau blog
    campy
    campy 2009/01/16
    "そしてその倫理をハンドリングするのが、人間の認知処理をより高速に行わせる情報技術なのではないか。倫理は技術によって改ざんされる時代は、もう迫っている。"