ブックマーク / tomii23.hatenablog.com (2)

  • 秋元康さんがAKB48を結成する1年前の講演を1枚のA4メモから再現してみる - 日日平安part2

    その講演は、2004年10月31日に行われた。場所は東京ビッグサイト・TFTホールに於いて、「JTいきいきフォーラム」からのものである。 一昨日、私の部屋を整理していたら、この講演のメモ(A4サイズ)の用紙がひょっこりと現れた。十年ちかく前、聴きながら書き留めた言葉の断片だけであるが、見るだけで内容が浮かんできた。その講演以降は「一行日記」のお話以外、まったく記憶になかったが。 さて、この講演の頃にAKB48はまだ世に出ていない。AKB48劇場での初公演が2005年12月との記録があるので、秋元康さんは、この時点でAKBの構想や準備があったかどうかはわからない。もし、あったとしたら、今のようなビジネスとしての成功は考えていたのであろうか。 講演の題名は『秋元流人生論』のようなものであったと思う。「わがままになりたい」という言葉で講演は始まった。キーノート・スピーチなどで、秋元さんが(当時)

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    canariya
    canariya 2014/03/04
  • フィルム写真の終焉直前に業界の現場ではデジタルカメラなど眼中になかった - 日日平安part2

    100年以上の歴史ある銀塩写真が崩壊した要因は、デジタルカメラの需要がフィルムカメラを上回り、銀塩写真の必要性が失せたということである。だれもがご存知のことと思う。さて、そのときの業界の現場ではなにが起きていたのだろう。 それ以前のロールフィルムの需要はどうであったか。1990年代後半は出荷数が4億を超え、1997年(平成9年)から1998年(平成10年)では、日国内で最多の約4億8283万を出荷していた。そして、デジタルカメラの普及で売り上げが激減。 全盛期の10年後である2008年(平成20年)には、10分の1近くの約5583万にまで落ち込んだ。 一部のフィルムメーカーでは倒産や写真フィルム事業からの撤退。存続のメーカーでもラインの縮小という事態に陥っている。カメラ用フィルムの製造には巨額の設備投資が必要なため、一度廃業すると再生産は極めて困難といわれている。 ちなみに、最盛

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    canariya
    canariya 2014/03/04
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