和歌山城址内で無料配布していた「史跡 和歌山城 道案内マップ」の絵地図を再掲。 絵地図のほぼ中央に見える「裏坂」というところ経由で天守閣から下り、二の丸庭園に出ようとしたところから続ける。絵地図では右上寄りで、丸数字の(2)が見える。 弊ブログ勝手に恒例の文字起こし。改行位置変更しています。ルビ省略しています。外国語が併記されている場合は和文のみです。以下同じ。 和歌山城史跡解説 「二の丸・大奥」 大名御殿は、以前は表と奥向に二分されていましたが、江戸城本丸が表・中奥・大奥に三区分されると、この二の丸にも大奥が設置されます。ただし、和歌山城で「大奥」という名称が使われるのは寛政4(1792)年からで、それまで「御内証」と呼ばれていました。 大奥と中奥との間は塀や御錠口で厳重に区画されていました。大奥はその機能によって、御殿向・長局向・広間向に分かれます。御殿向は北側の色の濃い部分(藩主の居
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