2006年07月27日23:00 カテゴリMoney書評/画評/品評 弱者救済は死者をもってせよ ところが、その強者があいかわらずぬるいのに、その地位がより安定してしまったところに今日の問題があるのではないか。 働くということ ロナルド・ドーア 分裂勘違い君劇場グループ - 劇場管理人のコメント - 弱者を弱者にしている、唯一にして決定的な要因は、「強者を理解していない」ということ 一度も強者になったことのないヤツには、想像もつかないだろうが、実は、ほとんどの強者は、かなりぬるい。 その上、彼らの確固たる安定した地位は、見た目ほど安定なんかしてない。 つけ込む余地、蹴落とす余地なんてありまくりだよ。 ちょっと視点を変え、ちょっと工夫するだけで、逆転するチャンスなんて、いくらでもあるんだ。ここで強者の種類を二つにわける。フロー強者とストック強者だ。 フロー強者は、ぬるい。その時点における自分
2007年09月06日15:45 カテゴリTaxpayer ベーシック・インカムに賛成するのに十分なたった一つの理由 実は、私もベーシック・インカムには賛成だ。 評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」 「ベーシック・インカム」を支持します ベーシック・インカムとは、社会の構成員、全員に、個人単位で、暮らすに足る一定の収入(=ベーシック・インカム)を、定期的に現金で配るシステムを指す。その理由は、ただ一つ。 それはベーシック・インカムが、受給者、すなわちこの場合は全ての人々に、選択権を与えることと同様だからだ。 もう少しひねくれた言い方をすれば、ベーシック・インカムとは、「何が生活に必要なのか」を、支給者ではなく受給者に考えさせる仕組みとも言える。例えば同じ5万円を、そのまま渡すのと、それで食料を買って渡すのとでは、資本主義社会では意味合いが異なるのだ。 評論家・山崎元の「王様の耳はロバの
不思議の国のアリス症候群 [Alice in wonderland syndrome] 身体の一部や全体が拡大、縮小、二重に見えたりする身体像に関する錯覚、 視界に映る距離や位置に関する錯覚、時間に関する錯覚などを主症状とする症候群。 主に一過性で長時間持続することはまずない。 てんかん、大脳の局在性病変、幻覚誘発剤使用時、せん妄状態、心因性障害などにみられる。 「極細と極太が交互にやってくる感覚」 「遠近感覚がぼやけてものの大きさが曖昧になる感覚」 「有限な大きさのブロックの集合体」 「白黒」 「自分を包み込む空間の筒」 「針とタイヤ」 などの感覚 キャロル(Carroll L)の童話「不思議の国のアリス」に因んで、トッド(Todd J)が命名した症候群である。 参考サイト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6
アメリカ時間でいうと昨日に書いた下記のエントリーでは、「んなことあるか、ボケ!」とツッこまれまくるかと思ったら、意外に「同感」とか「安心」とかのコメントが多く、そのことのほうが私には驚きで興味深かった。(みなさん、読んでくださってありがとうございます。) で、今朝歯磨きしていて思いついたのだけど。昔、ウチの母が、「日本人は器用すぎて、包丁一本でなんでもやっちゃうから、台所道具が発達しない」とよく言っていた。北辰一刀流とか神道無念流とか、刀一本でワザを究めるのが日本の美学だから、皮むき器だのスライサーだの、電動缶きりだのフードプロセッサーだの、そういうアメリカ風の台所道具が発達しなかった、というのだ。 日本で、あの(化石世代の私には)使いにくい携帯番号ボタンを目にもとまらぬ速さで打ちまくる人々を見ると、「うーむ、北辰一刀流だ・・・」と感心する。(私が日本で、ぽちっ、ぽちっ、と携帯メールを打っ
社会の発展における「技術」の重要性、および技術を進歩させるための「研究開発」の意義を否定する人というのはあまりいないのではないかと思う。現代社会は、その隅々にわたるまで、数多くの技術に支えられている。技術は人間の可能性の範囲を規定する。 したがって、技術が変われば人の行動が変わり、社会が変わる。これまでできなかったことができるようになり、これまでよりうまくできるようになり、そしてこれまでよりなんらかの意味でいい結果につながると期待されるわけだ。そして技術の進歩は研究開発によってもたらされる。つまり、社会の発達のかなりの部分は研究開発に強く依存しているということになる。 ここまでを読む中で、「技術」ということばから、理工系や生物系、より俗な表現でいえばいわゆる「理科系」の技術を思い浮かべなかっただろうか。コンピュータで高度な情報処理を行う技術、難病を克服する画期的な治療の技術、人の力を何倍に
仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんと、社会科の仮説実験授業の研究をしていた長岡清さんの共著の『社会にも法則はあるか』という面白い本を手に入れた。新書程度の軽い本なのだが、ここに含まれている社会科学というものを捉える視点というのは、数学系としては非常に納得のいくすっきりしたものに感じる。 哲学的な科学論としては、ポパーが提唱した「反証可能性」というものが有名なようだが、「反証可能性」というものを視点としたときは、考察している対象が「科学ではない」という判断は出来るものの、それが「科学である」という肯定判断はどうしたらいいかわからなくなる。「反証可能性」があるということが確認できたとしても、それは単に真偽を確かめる方法があるということがいえるだけで、それが真理であるということが確かめられたわけではないからだ。 科学というのは、それが真理であることがいえなければ、「科学である」という肯定判断は出
エスカレーターは「片側をあけない」のがマナー? - エキサイトニュース - 2007-08-17 はてなブックマーク - エスカレーターは「片側をあけない」のがマナー? 煩悩是道場 - そろそろエスカレーターの歩行について考えてみよう をひととおり読んで、それに関連していつもつらつら考えてることがあるのでちょっとまとめてみた。 エスカレーターを歩くひと歩かないひと なんでひとが階段じゃなくってエスカレーターを使って上り下りするかというと、まあ深い地下駅なんかでは階段がなくってエスカレーターを使わざるを得ないときもあるけど、そういうケースを除けば、一般には2つの理由があるんじゃないかとおもうんですよ。 楽をしたい 歩くのタリー! 急いでる 電車に乗り遅れるんじゃボケ! っていう感じで、これはひとの欲望としてはもう正反対だと思うんですね。まったく逆なんですよ。楽したいから(あるいはケガとかいろ
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