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人生と増田文学に関するcat1228のブックマーク (21)

  • ばーちゃんと電話したら寂しくなってきたので、こっそりと書きます。 よ..

    ばーちゃんと電話したら寂しくなってきたので、こっそりと書きます。 よんどころない事情で小さい頃からじーちゃんとばーちゃんと暮らしてたんだけど、当たり前のように貧乏だった。 田舎のじーちゃんばーちゃんだから、買ってくれる服やおもちゃのセンスも微妙に変で。 私はたまにわがままを言ったけど、幼いなりに家庭の事情もうっすらわかってたから、あんまり無茶は言わないようにしていたような覚えがある。それでもじーちゃんばーちゃんは困ってたかもしれないけど。 とある年の12月、私が通ってる保育園でクリスマスパーティーをする予定で、その年はみんなパーティーはおめかししてきてねってことになってた。 ばーちゃんはお迎えで先生におめかしの話をされた後、帰り道で「お金もないし、あんたはすぐ服汚すからどうしようかね」と言った。そこで私はかわいい服は買ってもらえないんだと察して拗ねて、それでも帰ってからばーちゃんと2人で手

    ばーちゃんと電話したら寂しくなってきたので、こっそりと書きます。 よ..
  • 祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい(追記しました)

    この冬に亡くなった父方の祖母は、祖父の初婚の相手が病没してからの後添いで、最近は後家でもあった。 彼女が祖父と再婚したとき、すでに父も伯父も成人していたので、祖母を慕うでも疎むでもない、いわゆるおとなの距離感だった一方、私と母は祖母とずっと仲良しだった。 祖母と血縁関係がないことを知ったのは小学生時代の半ばだったが、「あ、まじ?」くらいのかんじで、祖母のことは変わらずずっと好きだった。 80歳になった頃から認知症が出始めて、以降はちょっと若返り、ずっと79歳で通した。 90歳近くになっても「80歳になったら遺言状を書く」と言い続けていたので、遺言状書くのが潜在意識レベルで億劫だったんだろう、気持ちは79歳のまま、91歳で亡くなった。 歳もとしで、生存してる知己も皆無のため、葬儀では町内会長が弔辞を読んで下さった。 会費払うくらいの活動しかしてなかった祖母に対して「〇〇地区の発展のためおおい

    祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい(追記しました)
  • 特に好きでもない人と結婚して10年

    私は23のときに特に好きではない人と結婚した。 結婚の経緯は今どきあり得ないでしょ?って言う思惑がらみのお見合いで。 相手は干支が一回りしそうな男。この話が5年早かったら間違いなく犯罪。早くなくても人身売買じゃないのこれ?って言って良いような政略結婚。いやほとんど借金のカタじゃないの?当時の私はそう思ってた。せめてもの救いは彼もこの結婚に対して同じような気持ちであったことと、イケメンではないものの清潔感のある温厚な男だったこと(これがちびデブだったらもう当悪いけどダメ)。そして私たちに共通していたことは「親を守りたい」という意識だった。言ってしまえば彼は私に安定した生活の保証をする代わりに、私は彼に世継ぎ(である必要は必ずしもないと言われたが)を産む。暗黙の契約のような気持ちで私はこの結婚に同意し、いささか、いやかなりの格差婚を感じさせる結婚式を挙げると私は実家から飛行機の、夫の実家から

    特に好きでもない人と結婚して10年
  • おーいお茶にションベン入れて持ち歩いていた

    人生で一番きちがいだった時期。小便をおーいお茶のアルミペットボトルに入れて街を散策した。 女にぶっかけてやりてえ、なんて思いながら。 それを持っているとバタフライナイフを持った中学生みたいな感じで、無敵感に包まれてた。 女子高生、女子大生、OLなどいろいろ物色しながらポケットのおーいお茶しょんべんを握ってた。 こいつらを汚す権利が俺にはあるんだと思って、当にウキウキしてた。なんでもできる。 ギャルを汚すか清楚系を汚すかエリートっぽい女を汚すか。街を歩いているだけで楽しくて、ニートの 俺がしばらく感じたことのない高揚感。 しばらく歩いたのち、ちょっとおーいお茶の様子を確かめようと人影でポケットから取り出した。 激臭がした。え? 蓋閉じてるのにめっちゃ臭いんだけど。って思って一気に萎えて捨てて帰ってきた。 ■追記 思ったより反響があった。 文章がこれで完結してたら綺麗なのは理解できるんだが、

    おーいお茶にションベン入れて持ち歩いていた
  • お母さんの自転車

    夏休みの宿題で「お母さんと弟と市民プールに行ったけど休みでガッカリしたことが1番の思い出です」って作文に書いたら、お母さんに「なんで?」と怒られた。 そりゃそうだ。車の免許がないから行くところは限られていたけど、夏休み中、お母さんは電動でもなんでもない自転車の後ろに弟を乗せて、まだ自転車の運転に慣れない私に「車!」「赤!」と声をかけながら、サマーランドやら母方のおばあちゃん家やら、いろんな場所に連れてってくれた。それなのに、1番近場での1番楽しくなかった思い出を書かれたら怒るに決まってる。 私としたら「楽しかった」だけじゃつまんないかな〜と、おませなつもりで書いた作文だったけど、他の子たちの「帰省」や「初めての海外旅行」の思い出と一緒に、「仕方がないからモスバーガーをべて帰った」思い出が夏休みの文集に綴じられているのはたしかにおかしくて反省した。 思えば、お父さん、お母さん、私の3人で借

    お母さんの自転車
  • デリヘル嬢に説教されるから生き方を変えたい

    風俗嬢に説教するおじさんというのがいるらしいけど、客に説教する風俗嬢というのも確かにいる。 仕事論から人生論へと話は続き、プレイ時間のほとんどが説教で占められる。 60分を90分にしたところでチンコをいじられる時間は変わらず、説教が延びるだけ。 昔から私は口下手で、聞き役にまわることが多かった。 学生時代やってたパート先でも先輩パートタイマーから仕事論や人生論を延々と語られた。 仕事終わりに先輩の奢りで飲み屋で聞かされるなら喜んで聞いただろう。 けれど仕事中にされていたからかなり迷惑だった。 話の内容は先輩がこれまで酷い目に逢ってきたこと、そしてこの先君も酷い目に遭うだろう、君は俺みたくなるなよという内容で、聞いていて辛かった。 先輩が“40代”で、“男性”ってところと私が“年下”だからこの関係になってしまったのだと思っていた。 しかしこれが40代女性に変わっても同じことが起こる。 雑談で

    デリヘル嬢に説教されるから生き方を変えたい
  • 何がしたいのか分からないまま人生が終わった

    小さい頃から逃げてばかりいた。 近所の子供たちが遊んでいるのを離れたところから見ているだけの自分に、親は「よして」と言うように教えてくれた。漢字で書くと「寄せて」になるのだろうか、仲間に入れてほしいというような意味だ。ついに一度も言わなかった。 家の中でばかり遊んでいた。ゲームもそれなりに与えられてたので退屈はしなかった。テレビはアニメか特撮をやってるときだけ見ていたが、ドラマや歌番組には興味がわかなかった。 幼稚園と小学校は真っ暗なジャングルだった。そこら中に猛獣が潜んでいて、油断すると噛みつかれる。顔も名前もわからない「ともだち」たちから笑われ、小突かれ、追い回された記憶ばかり残っている。 教室にいると何が飛んでくるかわからないから、隠れ場所を探して校内をさまよった。目を閉じたら何をされるかわからないから、まばたきするのも怖かった。 このまま公立中学に行ったら殺されるに違いないとい

    何がしたいのか分からないまま人生が終わった
  • 吉野家で食事してる老人を見ると辛くなる

    吉野家コピペが世に出てから18年経ったらしいが、吉野家はいまだに殺伐としている。 働き盛りの男に合わせた高さのテーブルと背もたれすらない椅子。背もたれもハンガーもないので冬には上着を脱ぐことすらできない。 券による前払い制ではなく手渡しでの後払い制なので、せわしなく行き来する店員をうまく捕まえなければべ終わっても合法的に店を出ることことすらできない。 しかし俺は、そんな殺伐とした吉野家が好きだ。 松屋の券販売機をタッチして「ペボッ」という間抜けな音を出すのより、吉野家の店員に「牛丼並、Bセット、卵」と簡潔に伝える方が好きだ。 何種類あるのかもわからないたくさんのドレッシングが並ぶ松屋のテーブルより、醤油と七味と紅ショウガしか置いてない吉野家のテーブルの方が好きだ。 今日は牛丼をべるぞ、と思ったときに探すのはやはり吉野家なのだ。 そんな吉野家に行くと、最近は毎回のように老人を目撃する

    吉野家で食事してる老人を見ると辛くなる
  • 新婚旅行から帰った夜

    1週間ほどハワイ旅行に行ってきた。新婚旅行だ。 時差は19時間だが、実用的には5時間違うと思っておいて良い。 ハワイから日に戻るときは、5時間だけ昼間が長くなる。 飛行機の中では時差ボケ解消のために寝ずに起きていて、夕方に日についた。 余分な年休は取らずに明日から仕事だ。 新婚旅行に行かない/行けないカップルがいるのも知っている。行けるだけありがたいと思っている。 金はともかく、休みをもらえたのは当にありがたかった。 休みの間は、上司が代わりに働いてくれることになった。 「休みの間は一切仕事を忘れていいから」と言ってくれた。ありがとう上司。 行先は嫁の希望で決まった。 嫁は英語が一切わからないというので、多少なりとも日語が通じる場所が良かったらしい。 テレビでハワイのおすすめスポット紹介みたいなのを見るたびに、 どーせ楽しんでるのは撮影してるお前らだけじゃねーか、とかよく分からない

    新婚旅行から帰った夜
  • 父とオナニー

    父子家庭で育った。 母30、父40、私3の時に母が死んだ。 それから父が女性と関係を持っていたかどうかはわからないが、 まじめで無口な人で職場にも女性は少なく、友人関係自体ほとんどなさそうなので、あまり考えられないと思う。 また収入面や生活リズムを考えると風俗に行っていたとも考えにくい。 朝早く会社へ行き定時でまっすぐ帰宅し、趣味といえば読書とちょっとした旅行くらいで、仕事と私の世話に父の後半生は費やされた。 父は漫画が好きで、私とも漫画趣味がよく合い、ジャンプやアフタヌーン、モーニング、ガンガンなどを共有して読んでいた。 一方で父は甘い生活などの過激な漫画から気の成年漫画まで多数持っていたし、私もそのうち過激な少女漫画やボーイズラブも読むようになった。 家に数多くの官能小説やアダルトビデオがあるのにもいつからか気づいていた。 趣味が合う部分がある一方で、狭い家で隠しきれるわけもないそ

    父とオナニー
  • 最近は道ばたにBB弾とか落ちてないよな

    俺が小学生だった頃、だいたい30年くら前は、よく通学路にBB弾が落ちていた。 側溝の蓋の隙間とか敷地境界杭の影とかを探すと、割と簡単に見つかった。 白や玉子色は頻繁に見つかるから放置していたけど、紫や黄緑の半透明な材料でできているのものは綺麗だから拾って帰っていた。 あと銀玉とか黄緑のプラスチックでできた小さな輪っかも時々みつけた。 ポケットに入れたままにしてるもんだから、洗濯されると無くなってしまう。そして次のBB弾を見つけるころには、前に拾ったやつのことなんか、すっかり忘れてしまっていた。 当時、近所で銀玉鉄砲なんかを売っていたような店は、更地になった後に賃貸アパートが建った。 BB弾が挟まっていた側溝の蓋は、綺麗に整備されてガタツキもなくなった。 オモチャの鉄砲をカゴに入れて颯爽と自転車を走らせていた同級生は、もう連絡先も分からない。 さて、ハロワ行ってくるか。

    最近は道ばたにBB弾とか落ちてないよな
  • 12年前に別れた彼女へ

    ウエエエエエエイ!!!!!!!!!! ウヒョウヒョヒヒョーーー!!!!!!!!!!!!! マジで嬉しいから書くわ! 34歳にもなって独身の俺だが、実は12年前の22歳のときに彼女という幻の存在がいたことがあるんだ。 お相手はマホちゃん(20)。当時入ってたよさこいサークルの後輩でタレ目で黒髪ロングで巨乳という童貞俺にとっては夢のような女の子! とくに好きだったのが暗い表情だ。 この世の終わりを23回は見ているに違いないというぐらい暗い。言葉の端からは「こいつは私より幸福だ」というふいんきがダラダラ溢れ出ていた。 俺は完全に一目惚れしてしまった。 ベラベラ過去を喋っていたところ、実はお互い両親に虐待されて児童相談所から養護施設にぶち込まれていたという過去まで一致! 意気投合してなんだかんだで付き合うことになった。あれほど施設送りの過去に感謝したこともなかったな。 当時、マホちゃんはいわゆるメ

    12年前に別れた彼女へ
  • 俺の人生で最高の時間は11年前だ

    高校生の夏休みに遠出してニコ生の踊ってみたのイベントに参加 高速バスで帰宅してすぐにパソコン立ち上げるとうpされてた それを見てたら「緑の服の人(俺)かっこいい」ってコメントに興奮 始めたばかりのツイッターアカウントに動画のこと書いたらフォロワーが増えて もしかしたら彼女できるかもwなんて思って その日は興奮して一日中寝れなかった お母さんから「晩御飯べないの」って聞かれたけど無視 ずっとニコ生のランキング見たり配信観たりゲームして過ごして 夜中2時お腹が空いてこっそり台所へ 晩御飯は残ってなかったので、インスタントラーメン作って そのまま朝までネットして気がつくと朝になってた 朝5時くらいかな、夏だからもう明るくて だけど人はいない、静かで特別な空気の中をふらっと歩いた ipod聞きながら散歩してたらアジカンが流れてきてさ 大学入ったらバンドやりたいなーなんて思って 近くの自販機でカフ

    俺の人生で最高の時間は11年前だ
  • 2ちゃんで出会った嫁。

    俺が嫁と出会って今年で15年目だ。 出会いのきっかけは2ちゃんねる。 当時も現在と変わらず田舎田舎市に住んでいるんだけど,家でネットを見ていて「田舎市 サクラ 花見会」で検索かけたら たまたま2ちゃんの突発オフ会の田舎県スレがヒットしたのだ。 スレを読み進めているとどうやら次の日曜日に田舎市の花見スポットでオフ会をするらしく,参加者を募集していた。 俺は,2ちゃんのオフ会とやらに,どんな奴らが来るのか興味を掻き立てられたので,参加宣言をすることはせず,集合場所とされた田舎公園の桜の木をウォチすることにした。きっとネルシャツ,ケミカルウォッシュのジーンズ,ダンロップのシューズにリュックを背負ったキモオタたちがこぞって集まるのではないかと。 俺が,定時の15分前から田舎公園の桜の木傍でウォチを続けていると,俺の想像通りの服装で男性が現れた。むしろ期待以上というか・・・。 スレの書き込みからし

    2ちゃんで出会った嫁。
  • 中古嫌いがリサイクルショップで働いた話

    私は中古が大嫌いなのにリサイクルショップで働いてる。 でも最近は思うところがあって、長くて恥ずかしいからここに吐き出す。 誰かが使い古した物を、家にいれるなんて信じられない。 私は物には思い出や気持ちがつまるもんだと、気で信じている気持ち悪い人間なので、誰かの思い出がつまった中古が気持ち悪い。 中古の品をみると、元の持ち主の顔を想像してしまう。どんな人生を送っていたのか考えてしまう。 そんな私がリサイクルショップで働いてしまった。家から近くて通うのが楽だから、とかいうダラけた理由で。 買うのも気持ち悪いが、売るのも気持ち悪いと思っていた。 自分の思い出や人生がつまったものを、いらないからと売りに来るのだ。そして誰かが私の過去がつまったものをまた使用する。それが私にはゾッとするのだった。 売りに来るもので一番理解できないのがぬいぐるみ。 ぬいぐるみなんて、一番思い出のつまるものだろう。 売

    中古嫌いがリサイクルショップで働いた話
  • 彼女が好き

    彼女は少し前に婚約し、現在同棲している。しばらくしたら結婚するようだ。 私は彼女から婚約の報告を受けた際、自らの好意を自覚した。 私は彼女が好きだ。 それまでは無意識に抑えていたのか自覚がなかった。 だが今更どうしようもない。彼女は結婚秒読みだ。それを壊す気も何かをする気もさらさらない。 幸せになってほしい。 彼と幸せになってほしい。 私は彼女に想いを伝えることはせず、ひとりの友人として付き合っていくことに決めた。 ありがたいことに彼女は私を信頼してくれており、日常の色々な話をしてくれる。 彼がこんな話をしてくる。 彼が好きな映画に二人で行った。 彼のためにこんな夕飯を作った。 彼が。彼と。彼に。彼は。 彼女から、彼の話をたくさん聞く。 彼女にとって彼の存在がどんどん大きくなっていくのが分かる。 彼はとても優しく、彼女とうまくやっているようだ。 どうか彼と幸せになってほしい。 ただ、話を聞

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  • 母の作品を破った

    10年以上前、私がまだ高校生の時。 引っ越しすることになって、引っ越しの準備をしていた。 修学旅行でしばらく家を留守にしている間に、リビングにおいてあった自分で描いた絵のファイルの絵をすべて燃やされていた。 100円均一で買ったファイルは置いてあって、中身の50枚程度の絵だけすべて抜き取られて捨てられていた。 「なんで捨てたの!!」と大喧嘩になったのだけど、理由は「引っ越し業者さんに中身を見られると個人情報だから恥ずかしいと思って」ということだった。 エロい絵とかは一切ない。中身をちゃんと確認したのかと言ったら、「しないで中身だけ燃やした」そうだ。 そのファイルは小さい時から「この構図がとてもうまくかけた」とか、当にお気に入りのものを厳選して選んでたファイルだったから、しばらく消失感がすごくて、何度も意味がないのはわかっていても捨てた理由を繰り返し聞いた。 最後は「なぜかわからないけど燃

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  • 限界女の性事情

    身長体重共に日人女性平均、Bカップぺたんこぱいぱいウエストくびれなし幼児腹 容姿は正直言ってブス。 誰に例えるとか、それはそりゃひどいなって思うのからそれは盛りすぎでしょって言うのまであるわけで、自己愛と自意識に苛まれる中、ちょっとだけ、ほんのすこーしだけ、ない頭をひねって自分が傷つかない人物を思い浮かべたんだけど、やっぱやめる。このくらいのゆらぎや甘えはインターネットの片隅でぐらい目を瞑ってほしい。 なんて言うか10時のお笑い番組で仕事の疲れ癒しても癒されないっていうか、一人がヤんなっちゃうんだよな。私の日常なんてものはほんとにつまらなくて、書こうと必至に記憶を手繰り寄せて……なんてするまでもなくて。某掲示板サイトで自分語りするなら「高卒コンビニ勤務の女だけど、質問ある?」 って感じ。私の人生は質問されないと当に私であることとそうでないことの区別もつかないような物だけど、何もないから

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  • 妻がメシ作りたくない病を発症した。

    がメシ作りたくない病を発症した。 何故かすき家に三人して来てしまった。 まあ良いか、祭りだし。 なんて考えてると、4歳になる娘が 「ぱぱ、あの人べるのすんごくはやいよ」って俺に言う。 見るとカウンターには二十代前半とおぼしきスーツ姿の男が牛丼をかき込んでる姿が。 あれは俺だ、昔の俺だ、何にも考えず、ただがむしゃらに仕事して、未来の事とか幸せが何なのかとかから敢えて目を背けて、孤独を貪って世の中拗ねて生きてた頃の… そんな俺の妄想に気付いているのかいないのか、男は尚一層のスピードで丼を空にし、ぼそりとご馳走様と告げると伝票を片手にレジへ向かった。 俺が娘に 「牛丼はああやってべるのが作法なんだよ、特に一人の時はね」 って教えたら、が何馬鹿な事言ってるのって鼻で笑った。 もう家族で牛丼屋に来るのは止めよう。

    妻がメシ作りたくない病を発症した。
  • ゆかりを抱いて寝る

    実家のじいさんがボケた。 ボケると色んなパターンがあるらしいけど、うちのじいさんは冷蔵庫をしょっちゅう開ける様になった。べ物を探すためだ。 最近は特にひどく、家族のものまでべてしまうのでなるべく冷蔵庫にものは置かない様にしている。 するとべ物を見つけられないじいさんは今まで見向きもしなかったものに手を出し、手軽さゆえに自室に持って帰ってべるようになった。ことの発端は母からの電話だった。 おじいちゃん、ゆかりを抱いて寝てたのよ! と母は言うのだ。 まさか、あの歳でじいさんは女としてたのか?どこで?いやしかし犯罪ではないし・・・名前からしてそれなりの歳の女性なのでまぁそれは・・・ と色んなことが頭をよぎる。 母は興奮気味に続ける まさか、ゆかりを部屋に持ち込むなんて・・・ お持ち帰り?じいさんは最近足腰が弱くて外出もままならんはずだ。立つことも勃つこともできないはず。 おじいちゃん、寝

    ゆかりを抱いて寝る