親による子どもを巻き込んだ無理心中というのはそれほど珍しくはないが、その行為は最低最悪の暴力である。 なぜなら子どもは自分の思いを基本的に語ることはできない。語っているように大人(親)には見えたとしても、それは大人(親)の願望に即した語りとなる。 なぜなら、子どもは、いちばん身近な大人の欲望に合わせることが、その子どもの「生存戦略」になるからだ。 身近な大人(多くは親)の願望を叶えるよう、自分の発言や考え方を合わせていくことが子どもがその世の中で生きていく上での基本となる。 要は、親に気に入られることが、その子自身の「いのち」を維持することにつながるということだ。 だから、単独親権下の我が国で、理不尽にも片方の親に拉致/連れ去られた子どもは、その拉致の理不尽に憤ることは決してなく、拉致した親の考え方にひたすら「合わせて」いくことになる。 具体的には、自分が拉致されて別居することになったもう