2018年11月25日のブックマーク (2件)

  • 【江戸時代の住まい事情①】江戸時代の暮らしが見えてくる?町人の長屋事情 | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】

    江戸時代の町人の暮らしを想像するとき、まず思い浮かべるのは、その住居、長屋ではないだろうか。時代劇の中でも、主人公の友人たる町人たちは長屋に暮らしている。そこで事件が起きれば、いろいろな人がやってきては好き勝手な意見を言い合うといった光景はおなじみだろう。 落語には大店の旦那衆も登場はするが、八っつぁんや喜ぃ公など、多くの人物は長屋住まいだ。 しかし、長屋以外の住まいはなかったのだろうか?答えは「長屋以外はほぼない」だ。立派な城郭を建造する技術があったのに、なぜ庶民の住まいはみすぼらしい長屋なのだろう。実は、江戸幕府の政策や人口密集が際立つ江戸の町事情に理由がある。 江戸時代の土地は、基的にはすべて幕府の所有物だった。つまり、個人が土地を持たなかったのだ。幕府は大名に土地を貸し、大名は地主などに貸し、地主はそこに長屋を建てて庶民に貸すという構図だった。つまり、一般庶民にとって土地は借りる

    【江戸時代の住まい事情①】江戸時代の暮らしが見えてくる?町人の長屋事情 | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】
    cbwinwin123
    cbwinwin123 2018/11/25
    『江戸時代の土地は、基本的にはすべて幕府の所有物だった。つまり、個人が土地を持たなかったのだ。幕府は大名に土地を貸し、大名は地主などに貸し、地主はそこに長屋を建てて庶民に貸すという構図だった。』
  • 土地は財産へ! 明治・大正の住宅事情 | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】

    江戸時代、基的に土地は幕府のものであり、「財産」という意識はなかった。現代のように、不動産売買が盛んになったのは明治時代の地租改正以降だ。慶応4年(1868年)に江戸幕府を倒した新政府は、版籍奉還により、徳川家から旧藩主に貸し与えられていた土地をすべて政府に返却させた。 土地の売買を可能とする地租改正が発布されたのは、それから5年後の明治6年(1873年)のこと。地価の3%を税金として納めると定め、政府の財源としたのだ。その前年には田畑永代売買禁止令が廃止され、国民の土地所有権が認められている。そしてこれをきっかけに、賃貸仲介業者や不動産業者も誕生するのだ。 大名や町奉行は、徳川家から拝領していた屋敷や奉行所などの土地をそのまま譲り受け、その土地に借家を建てることも多かったようだ。当初の借家は、江戸時代から引き続き、長屋形式のものが多かったようだが、その形態は少しずつ進化し、次第に二階建

    土地は財産へ! 明治・大正の住宅事情 | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】
    cbwinwin123
    cbwinwin123 2018/11/25
    1868年、版籍奉還により旧藩主から土地を政府に返却。1873年、土地の所有権を認めた地租改正発布。『江戸時代、基本的に土地は幕府のものであり、「財産」という意識はなかった。