中央線は、中野区と杉並区を東西に一直線で貫いている。どうして真っ直ぐに線路が引かれたのかは、よく話題に上がる。定説だと当時の甲武鉄道の工事担当者だった仙石貢が、地図上に一直線で線を引いたと言われている。ただ、これを証明する資料はなく、豪傑だった仙石貢のエピソードとして語り継がれた気がする。では実際にはどうであったのだろうか。 沿線住民から上がった反対の声 中央線は、甲武鉄道により建設された。この鉄道は明治の初め新宿―羽村間の馬車鉄道として出願された、玉川上水沿いをルートとしたが、東京の飲料水沿いの鉄道は、衛生面で許可されなかった。さらに時代は馬車から蒸気鉄道に移行の時期で、甲武鉄道も蒸気機関の鉄道に変更し、羽村では採算が合わないため、絹織物が盛んだった八王子に変更された。早速ルートの選定にあたり、集客の見込める甲州街道沿いが候補となった。 しかし、沿線となる住民からは反対の声が上がった。甲