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  • 嘘八百のこの世界

    「サンカの歴史」③八切止夫 前回に続く。以下、一部引用する。 *明治・大正生まれはサンカとしての誇りをもっていたが、その子供たちは都会の工場寄宿舎へ収容されて次第に他へトケコミだした。時々でも親許へ戻れば、純民族としての教えを受けられただろうが、都会に馴れ住むと若い男女は、みな親許へ送金はしても戻りたがらない。 その内に「結婚は両性の合意結合」とばかり、勝手に一緒になってしまうのが多くなった。もちろん赤線青線廃止後の現象で、生理処理目的の結合ゆえ、みな同棲から始まるらしい。 こうなると戦前みたいに、血統調べといわれた民族別事前調査など、まったくされはせぬ。「シノガラ離れ」というか、親達も昔みたいに手許において次々とセブリをはらせての婚礼ではないからして、離れての都会暮らしの子供達を、まったく、どうしようもなくなってしまい、「知らせるべきか、どうしようか」と迷いつつ、ついそのままになってしま

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