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ブックマーク / muse-a-muse.seesaa.net (4)

  • 「ナグネ」: muse-A-muse 2nd

    あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。 辛よ さようなら 金よ さようなら 君らは雨の降る品川駅から乗車する 李よ さようなら も一人の李よ さようなら 君らは君らの父母の国にかえる 君らの国の川はさむい冬に凍る 君らの叛逆する心はわかれの一瞬に凍る ふりしぶく雨のなかに緑のシグナルはあがる ふりしぶく雨のなかに君らの瞳はとがる 雨は敷石にそそ

    ch1248
    ch1248 2018/02/23
    中国朝鮮族!これは気になる。
  • 「仕事と家族 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか」  男女共働き社会の模索: muse-A-muse 2nd

    仕事と家族 - 日はなぜ働きづらく、産みにくいのか (中公新書) - 仕事と家族 日はなぜ働きづらく、産みにくいのか (中公新書) - 副題にある「日はなぜ働きづらく、産みにくいのか」ということを主題とした現時点でのまとめ的なもの。この分野の論点と現時点での暫定的結論としてコンパクトに纏まってるように思う。 筒井淳也『仕事と家族』(中公新書) 8点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期 http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52106679.html お話的には「働きづらい」というところよりも「産みづらい」ということの原因と解決についてが先に考察されていく。必然女性の就労問題がメインとなっていく。 男女雇用機会が均等になったとはいえ女性の就労形態の大部分はフルタイムではなくパートタイマーで、パートタイマーの雇用条件はフ

  • 竹田さんの現象学入門がよくわかんなかったね、って話: muse-A-muse 2nd

    けっきょく竹田さんの「現象学入門」って、「フッサールの現象学が独我論といわれるのは<主観/客観>の枠組みの中での既存の客観重視な文脈に対抗するためだった」、ってメッセージ以外はピンと来なかったなぁ。。 独我論がワガママな偏向にならないためには純粋意識(あるいはクオリア的なアレ)の基準がなにになるのかというところがポイントだと思うんだけどいつもどおりの竹田節で「\ エロス!/」っていうだけだしなぁ。。いや、それもあるかと思うんだけどもそっと価値依存的じゃない感じの。。 自分的な感覚としては現象学ってなんか体系的な技というか独自の考えの枝があるわけではなくて思考の際の最初の構えのようなものなのかなと理解した。似てるのは意拳とかああいう中国拳法系の脱力みたいなの。 この辺で甲野さんなんかも言ってたんだけど muse-A-muse 2nd: 「運命は決まっているがゆえに自由だ」な話 http://

  • 居酒屋としてのついったー (文芸的公共圏から生活的公共圏へ): muse-A-muse 2nd

    もいっこついでに。こちらから 居酒屋としてのついったー(仮) ↑もついったーでへにょへにょーとつぶやいたことのログです。内容としては、「ブログは文芸的公共圏(public sphere)の復活としてとらえられ、その期待からblogosphereなんて名称がコミュニティに対してつけられたりもしたけど、ついったーの場合はカフェの文芸・社会批評談義ってよりは居酒屋的だよね」、って話っす。 どういうことかというと、ブログ的なコミュニケーションのやり取りというのはコメント欄やTB、あるいはSBMを通じて当該エントリ的を絞った賛否が飛んでくるけど、ついったーの場合はそういうのとは違って他人様の会話がpostに影響を与えるね、ってことです。 イメージとしてはカフェ的blogosphreなやりとりが一つのテーブルを囲んでギロンしている感じなのに対して、居酒屋の話は隣のテーブルの話が聞えてきたので(その会話

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