中国の古代人たちが心配したように、天体が落ち、大地が割れる大惨事も考えてしまう。そんな「杞憂」を生むのは、未来を想像してしまうからだ。そんな思考タイプは、決まってリスクを考えすぎる小利口な人に多い。いましか考えない「バカ」でいいのに、損をしているなと思う。 コロナ禍での自粛推進派からすれば、未来を恐れず行動しようと唱える僕は、無差別テロリストのように思えるのかもしれない。 だが、未来が怖いからといって、不要不急に満ちあふれた暮らしを禁じ、懲役刑を受けさせるがごとく、人々の生活を縛る権利が許されていいのか? 懲役刑は自由刑の一種で、人間の自由を制限することで実質的に寿命を減らしている効果を生み出す、とても恐ろしい刑罰だ。 不要不急の反対派と、行動の自由派とはお互いに「命を削っている」と反目し合う関係だ。仕方ないけれど、決してわかりあえない。分断は埋まらないだろう。 それでも、僕は言いたい。未
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