鎌倉時代の歌人・藤原定家が1221(承久3)年に記した古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本2冊が、子孫に当たる冷泉家の時雨亭文庫(京都市上京区)で見つかった。同文庫が18日、発表した。これを基にした鎌倉中期と考えられる写本が、国の重要文化財に指定されている。調査に携わった専門家は「和歌研究史における重要資料の原本。『国宝級』の発見だ」と評価している。
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「歌聖」とたたえられた藤原定家による古今和歌集の直筆注釈書「顕注密勘」が、「王朝の和歌守(うたもり)」とされた冷泉家で見つかった。古今集の歌の解釈や言葉の意味を後世に伝えた「古今伝授」に関わる資料の一つとみられ、100点超の冊子・古文書とともに一つの箱に収められていた。専門家は、和歌の家に伝わった古今集や古今伝授の「神髄」を物語る重要な資料群とみなしている。 「冷泉家の古今伝授は藤原俊成、定家から守り伝えられてきた教え。今回、(歴代当主が教えを継承してきた)勉学の跡を示すおびただしい数の資料が見つかった」。冷泉家住宅(京都市上京区)での記者会見で、同家の第25代当主で時雨亭文庫の冷泉為人理事長はそう切り出した。
ヒトが言葉を獲得できたのは声帯の形が単純だったからだとする研究結果を、京都大などのグループが発表した。複雑な音をより明瞭に伝えられるよう進化したと考えられるという。サルやチンパンジーなど他の霊長類の声帯と比較し突き止めた。米科学誌サイエンスに11日掲載された。 ヒトは母音や子音が絡み合った話し言葉を用いてコミュニケーションを図っている。一方、サル類は声の大きさや高さ、長さなどを頼りに意思疎通する。ヒトが言葉を獲得するまでの進化の過程で、発声に関わる器官をどう変化させてきたかは未解明だった。 京大ヒト行動進化研究センターの西村剛准教授らは霊長類の声帯の形に着目。日本モンキーセンター(愛知県犬山市)が標本にしている43種のサル類の喉頭をCTで解析し、ヒトだけが声帯の上に「声帯膜」と呼ばれる器官を持っていないことを確認した。 実際に生きているサルや音声シミュレーションで声帯の振動を調べたところ、
平安宮内裏にあった後宮建物の登華殿(写真手前)と弘徽殿(奥)の遺構。平安文学の舞台だったことで知られる(京都市上京区)=市埋蔵文化財研究所提供 平安宮内裏にあった後宮建物の登華殿(写真手前)と弘徽殿(奥)の遺構。平安文学の舞台だったことで知られる(京都市上京区)=市埋蔵文化財研究所提供 平安文学を代表する「源氏物語」「枕草子」の舞台になった内裏の後宮建物跡が、京都市埋蔵文化財研究所が上京区で行った発掘調査で見つかっていたことが8日、京都新聞社の取材で分かった。建物跡や溝跡は中宮らが暮らした登華殿(とうかでん)と弘徽殿(こきでん)に関わるとみられ、平安時代の内裏殿舎遺構が見つかるのは初めて。 登華殿は平安中期、一条天皇の中宮定子が暮らした。関白の父・藤原道隆らとの語らいが、枕草子にはつづられている。また、弘徽殿は源氏物語において光源氏が朧月夜に出会う場になっている。両殿とも内裏北西部にあった
アフリカで霊長類の観察中に落木を受けて下半身不随になったとして、京都大大学院生だった女性(29)と夫(32)が、大学と指導教員だった男性教授に計約2億7400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、京都地裁(井上一成裁判長)は20日、請求を棄却した。 判決によると、女性は京大大学院理学研究科生物科学専攻に入学し、2015年7月、コンゴ(旧ザイール)でボノボの行動観察をしていたところ、樹上でボノボ同士のけんかが発生。長さ90センチ、重さ10・8キロの落木が女性を直撃して胸髄損傷などの重傷を負い、後遺症が出た。 判決理由で井上裁判長は、木々が生い茂るジャングルでは落木の発生地点や落下軌道を正確に把握するのは困難な上、本件は落木が別の木に当たって落下方向が変わっており、「事故を予見、回避できる可能性はなかった」とした。 訴訟で原告側は、男性教授が女性にヘルメットを持たせず別行動をとり、京大は学生らに
醍醐寺(真言宗醍醐派総本山・京都市伏見区)は1日、京都市内の人工衛星開発企業と協力して宇宙に寺院を開くための実行委員会を発足した、と発表した。2023年に打ち上げ予定の人工衛星に寺の機能を持たせることを目指す。 醍醐寺によると、地域や国の枠を超えた目線で平和や安全を祈る寺院の必要性を感じていたといい、寺の名称は「浄天院劫蘊(ごううん)寺」と名付けた。「劫」「蘊」ともに仏教上の言葉。大きな時間の流れや、人間の存在を形成する要素を意味するという。 2年後に打ち上げ予定の衛星には本尊や曼荼羅(まんだら)など仏教の教えを象徴するものを搭載し、地球から祈る人たちの心のよりどころとする。8日に宇宙の平和と安全を祈る「宇宙法要」を初めて行い、今後も定期的に実施予定。醍醐寺の仲田順英総務部長は「打ち上げ後は宇宙からの画像を見ながら法要を執り行うなど、人工衛星を活用した祈りの世界を具現化したい」と話している
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