は、あまり一般化しすぎると却って害になるかもしれない。 【玄倉川の岸辺】「騒ぎすぎ」の害 ところが、マスコミやネットで見かける「騒ぎすぎ」論者の多くは騒ぎすぎという言葉を投げつけるだけで、何と比較してどう騒ぎ「すぎ」なのか説明しない。これでは「騒ぎすぎ」と言いたいだけじゃないのか、実は何も考えてないんじゃないか、と疑ってしまう。 論旨にはおおむね賛同できるんだけど、ただ、騒いでるかどうかだけが焦点化されてしまうと、この場合ちょっとまずいかも*1。騒ぐべきときに騒ぐ、騒ぐべきでないときに騒がないことは正常な反応であって、問題は騒ぐべきときに騒がない、騒ぐべきでないときに騒ぐことでしょう。正しく「騒ぎ」、正しく「騒がない」ことが必要。 「騒がない」には2種類ある。 たとえば海外旅行から帰ってきて成田で検査をうけ、人混みや電車を避けて帰宅し、1週間ていど外出をひかえて自宅で過ごす。この人は騒いで